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どうしたんだろう。舌がなんだか縮こまっちゃって、うまく話せない。 「ね、ねえキョン。その、つまんない疑問なんだけど、さ」 「うん?」 こちらを見るキョンの様子がおかしい。明らかに心配そうだ。そんなに今のあたしはひどい表情をしているのか。 「こないだ、なんとなく深夜映画を見てたのよ。それがまた陳腐でチープなB級とC級の相の子っぽい、つまんない代物だったんだけど」 「ふむ、そりゃまた中途半端につまらなそーな映画だな。しかしハルヒ、あまり夜更かしが過ぎるとお肌に悪いぞ」 「うっさい、話を混ぜっ返すなっ! …でね、その映画ってのが、途中で主人公をかばってヒロインが死んじゃうのよ。でもって墓前に復讐を誓った主人公が敵の本陣に乗り込んで、クライマックスになるわけなんだけど」 べたりと汗のにじんだ手の平を握りこんで、あたしはキョンに訊ねかけた。 「もしも。もしもよキョン、あんたが言った通り映画の主人公がトラブルを乗り越えて行くべき存在なら…ヒロインが死んじゃったのって、それって主人公のせいなのかしら…?」 あたしがその質問をした途端、キョンは「あ」と小さく声を上げた。苦虫を噛み潰したような表情になって、それから、ゆっくり口を開いた。 「おい、ハルヒ。分かってるとは思うが、さっき俺が言ったのは『物語を客観的に見ればそういう考え方も出来る』って程度の話だぞ」 うん、そうよね。それは分かってる。 「脚本家やらプロデューサーやらの都合じゃヒロインが死ぬ必然性はあったかもしれないが、それは当然、主人公の意思とは無関係だ」 それも分かってる。けど。 「だいたい、自分が活躍するためにヒロインが死ぬ事を望むヒーローなんか居るかよ。もし居たとして、そいつはヒーローなんかじゃない。 だからその、何というか。要するに、俺はお前を責めるつもりであんな発言をしたわけじゃないってこった。単純にお前にトラブルを乗り越えてく覚悟があるかどうか確かめたかったっつーか、なんとなく意地悪な質問をしてみたかっただけというか。 大体ここまで人を巻き込んどいて、いまさら遠慮とかされても逆にだな」 「分かってるわよそんな事ッ! だけど…」 そう、分かってる。分かってるのよ。キョンの言い分は全て理にかなってる。こんなに声を荒げてるあたしの方が、きっとおかしいんだ。 でも。それでも! 「でもやっぱり、主人公が英雄的活躍を求めた結果として、ヒロインが死んじゃった事には変わりないじゃない!? あたしは、そんなのは嫌…。あたしのせいでキョンが居なくなるなんて、絶対に我慢ならない事なのよ!」 ああ、言ってしまった。直後に、あたしはそう思った。 それは言いたくなかったこと。認めたくなかったこと。でも言わずにはいられなかったこと。 「――北高に入って、あたしの日常はずいぶん変わったわ。毎日がとても楽しくなった。中学の頃なんかとは段違いに。 あたしはそれを、自分が頑張ったおかげだと思ってた。SOS団を作って、不思議を追い求めて。前に向かってひたすら走ってるから、だから毎日楽しいんだと思ってた。 昨日まで、ついさっきまで、そう思ってたのよ! でも、違った。本当はそうじゃなかった…」 「何が違うんだ? お前が日常を変えようと努力してたって事なら、俺が証人台に立ってやってもいいぞ? その努力の方向性が正しかったかどうかは別問題として」 この湿った雰囲気を変えようとでもしてるのだろうか、軽口っぽくそう言うキョンを、あたしは鋭く睨みつけた。 「だから、それよ! 気付いちゃったのよ、あたしは、その事に!」 「意味が分からん。いったい何に気付いたっていうんだ?」 「あんたが、あたしの背中を見ていてくれるから! だからあたしは走り続けていられるんだって事によ!」 気が付くと、あたしは深くうつむいていた。今の表情を、キョンの奴には見られたくなかったのかもしれない。 「中学の頃だって、あたしは走ってたのよ。日常を変え得る不思議を捜し求めてね。でもあたしはずっと一人で…息切れとか起こしたって、それに気付いてくれる奴は誰も居なかった…」 「…………」 「あの頃と今と、何が違うのか。 今のあたしが前だけ向いて、心地よく走り続けられるのは、それはあたしの後ろで、あたしの背中を見続けてくれる奴が居て…。もしもあたしが転んだとしても、すぐにそいつが駆け寄ってきてくれるっていう安心感の後ろ盾があるからだ――って…気付いちゃったのよ…」 喋っている間に、いつの間にか立ち上がったキョンが、すぐ前に立っていた。あたしはうつむいたままだからその表情は分からないけど、腕の動きから察するに多分、さっきぶつけた後頭部をさすっているんだろう。 「ありがたいお言葉なんだが、お前にそう殊勝な事を言われると、驚きを通り越して寒気がするんだよなあ。 ともかくハルヒよ、別にそれは俺だけの話じゃないだろ。朝比奈さんや長門や古泉、その他もろもろの人がお前を支えてくれてる。俺なんかパシリ役くらいしか務まってないぞ」 「そうよ! あんたはみくるちゃんみたいな萌えキャラでもないし、有希ほど頼りになんないし、古泉くんほどスマートでもないわ! せいぜい部室の隅に居ても構わないってくらいの存在よ!」 「やれやれ、俺はお部屋の消臭剤か」 なんで、あたしはこんなにイラついてるんだろう。どうしていちいちキョンの言葉に反応してしまうんだろう。 あたしの不愉快さは、それはもしかして…不安の裏返しなの? 「そう、あんたは特に取り柄があるわけでもない、ただ単に手近な所に居ただけの奴だったのに! そのはずなのに! でもあの春の日に、あたしの髪型の変化に気が付いたのはあんたで…その後もあたしの事を一番気に掛けてくれるのはあんたで…。 いつの間にかあたしは、あんたに見られる事を意識するようになってた…。あたしがこうしたらあんたはどんな反応するだろうって、それが一番の楽しみになってた。 あんたが変えちゃったのよ、あたしを! もうあの頃のあたしには戻れないのよ! それなのに、あんたがあんな事を言うから…」 ああ、失敗。失敗だ。 うつむいてしまったのは大失敗だった。確かに表情を見られはしないけど、にじみ出てくる涙をこらえられないんじゃ、意味がない。 「あんたが…人間なんて明日どうなってるか分からないとか言うから…。だからあたしは、こんなに不安になってるんじゃない!」 あんまり悔しくって、あたしは涙に濡れた顔を上げ、再びキョンの奴を睨み据えていた。 つい先程聞いた有希のセリフが、また胸の奥でこだまする。 『彼の言っていたのはある面での、真理』 『価値観は主に相対性によって生ずる。最初から何も無かった状態に比して、あるはずだったものをなくしてしまった時の喪失感は、絶大』 今なら、その意味が分かる。 あたしにとってあるはずのもの、そこに居てくれなければ困るもの。それは、キョンだったんだ――。 「もし…もしもあんたを失っちゃったら、きっとあたしは今のあたしのままじゃいられない…。何度も何度も後ろを振り返って、おちおち前にも進めなくなる…。 そんなの嫌! そんなのはあたしじゃない! だから、あたしは!」 こんな事を言ったら、キョンはきっとあたしの事を軽蔑するだろう。そう思いながらも、でも一度ほとばしった罪の告白は、途中で止められるものではなかった。 「あんたをここへ、ラブホへ誘ったのは、なんとか励まして元気付けたかったからっていうのは本当。 でもあたしにはあたしなりの思惑があって…。あんたが目の前に居て、あんたに触れる事が出来る内に、あんたとしておきたかった…。 あんたがあたしと一緒に居たって証拠を、心と身体に刻み込んでおきたかったのよ! 悪い!?」 はあ。 言っちゃったなあ…あたしのみっともない本音を。 キョンの奴も、さすがに愛想が尽きただろう。いつも偉そうぶってるあたしがこんな、ただの利己主義で動いてるような人間だと知ったら。 キョンの反応が恐くて、あたしはギュッと固く目を瞑って、肩を震わせる。そんなあたしの耳に、キョンの呆れたような声が届いた。 「やれやれ。男冥利に尽きるお言葉ではあるんだが、願わくばもう少し可愛げのある言い方をしてくれないもんかね」 「………は?」 「いや、訂正しとこう。可愛げのあるハルヒってのは、やっぱりどうも薄気味悪い。少し横暴なくらいがお似合いだな」 「な、なんですってぇ!?」 あたしの本気を茶化すような、あまりといえばあまりの雑言に、あたしは思わず目を剥いて、キョンの胸倉を掴み上げてしまう。 すると、キョンの奴は悪びれもせずにあたしの目を見つめ返し、子供をあやすようにポンポンとあたしの頭を叩きながら、こうささやいた。 「なあ、ハルヒ。ひとつ訊くぞ?」 「…何よ」 「お前は、俺に消えていなくなってほしいのか?」 「なっ、このバカ! 今までなに聞いてたのよ、その逆でしょ!? あたしは、あんたと…」 「だったら、つまんないこと心配すんな」 え、と顔を上げたあたしに、キョンは驚くほどキッパリと言い切ったの。 「お前が望んでる限り、俺は、ずっとお前の傍にいるはずだから」 ――まったく。 まったくもう、なんでこいつは。 普段は優柔不断の唐変木ののらくら野郎のくせに、こういう時だけは断言できたりするのだろうか。 不覚にも、ぐっと来てしまったじゃないか。 不覚、不覚! 涼宮ハルヒ一生の不覚! 気付けばあたしはキョンの胸にすがりついて、ボロボロに泣き崩れていた。さっき流した悔し涙や、不安と寂しさで流した涙とは全然違う、それは頬がヤケドしそうなくらい、熱い、熱い涙だった。 次のページへ
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涼宮ハルヒの追憶 chapter.4 ――age 16 昨晩は長門のことが気になってほとんど眠れなかった。 自分の無力感から来る情けなさと、それを認める自分に腹を立てた。 眠りについたのは午前五時を過ぎていた。 「キョン君! 起きて朝だよ!」 それでも朝はやってきて、最近かまってやれていない妹が日課のように起こしに来る。 睡眠時間は全く足りず、妹に抵抗する力すらでない。 妹よ、これをいつまで続けるつもりなんだ? 高校生にもなってやってきたら俺はどう対応すればいいんだ? だらだらと学校に向かう。 アホの谷口はこういうときに役立つのだ。 シリアスではない、ハルヒに言わせれば世界で一番くだらないものを 延々と述べるだけの単純な会話。 ほぼ徹夜明けの身体に対する強烈な日差しは殺人罪を適応したいぐらいだったが、 昨日の出来事を夢だと思わせないためにはこのぐらいでちょうどいいのかもしれない。 それより俺は懸案事項を抱えていた。 どうハルヒには説明すればいいんだ? 昨日のことはハルヒに説明できることではない。 長門が消えたなんていったら、この世界を保てるものなのか? ぐるぐると思考をめぐらせても答えは出ず、 結局何もいわないのが上策だろうと結論付けた。 教室でのハルヒはいつもと変わらなかった。 むすっとした表情をキープし、授業をただ聞き流す。 俺は授業のほとんどを睡眠に費やした。 身体は疲れていたし、なにより懸案事項を考えたくないという現実逃避でもある。 この後部室で長門に関する会議が行われると思うと、帰りたくもなった。 ダルダルな授業を終え、放課後に部室に向かう。 さて、ハルヒにはなんて言おうか。 部室に着く。 すでに朝比奈さんと古泉が待機していた。 「こんにちは」 古泉は笑顔で挨拶をした。 「こんにちわぁ」 これは朝比奈さん。やっと朝比奈さんの笑顔で癒されることができた。 昨日は気が動転していて、朝比奈さんの天使スマイルを無視していたからな。 俺が椅子に座ると、 「では、涼宮さんが来るまで少しお話でもしましょうか」 「なんだ」 「長門さんのことです。私達が解散した後、あなたは昨日長門さんにあった。 そして長門さんの家に行った。あっていますね?」 「なぜそのことを知ってる」 「『機関』からの情報です。昨日僕は閉鎖空間にいましたし、ストーキングは不可能です。 しかし問題はそこではありません。 あなたがあの部屋を出た後、『機関』のものが進入を試み、中をのぞくと、 誰もいませんでした。長門さんは消えたのでしょうか?」 「消えたと思う」 「長門さんは消えちゃったんですかぁ?」 朝比奈さんが悲しい顔をして俺を見つめている。 ドアを開ける音が聞こえ、俺達は話を中断する。 「なんだもうみんな揃っているのね」 ハルヒはゆっくりと歩き、団長椅子に座った。 「それじゃあ、始めましょ」 ハルヒは俺と古泉と朝比奈さんをじっと見た。 それから俺達は十分ぐらい黙ったままだった。 ハルヒが足を揺らしているのを俺は見つめていた。 耐えられなくなったのか、ハルヒは突然叫びだした。 「何か有希に関する情報はないの? 役に立たないわねあんたたち! 特にキョン! あんた有希と仲良かったんじゃないの?」 「そこまで仲よかねーよ」 「本当かしら? いっつも有希のことばっか見てたくせに」 「そんなに見てねーよ。お前はなんでそんなにイライラしてるんだ?」 「イライラなんてしてないわよ! あんたがねえ、有希のことを大事にしてるみたいだったから言ったのよ。 でも、あんたに教えなかったってことは あっちはそれほど思ってなかったってことよね?」 ハルヒは意地悪な目で俺を卑下するように見つめた。 「なにをいってるんだお前は。だいた……」 バンッという音と共に隣に座っていた朝比奈さんが突然立ち上がった。 「いい加減にしてくだしゃい! わたしもこんな部活やめてやや、りましゅ! もう、涼宮さんには付き合いきれません! 涼宮さんなんかだいっきらいです!」 「み、みくるちゃん? どうしたの急に?」 「どうもしません! わたしは今日限りでSOS団をや、やめてやりましゅ! もうわたしに関わらないで下さい!」 そういうと朝比奈さんはものすごい勢いで部室を出て行った。 「へ、どうしたのみくるちゃん? なんで?」 ハルヒは呆然と朝比奈さんが去っていったドアを見つめている。 「だいっきらいだとよ。お前に愛想つかして出て行っちまったな。これであと三人か」 「どうして? 何かあたしした?」 「今までの積み重ねじゃないのか?」 俺はハルヒにイライラしていたので、冷たく言い放った。 ハルヒは投げ捨ててあった鞄を拾って、部室から飛び出してしまった。 「どうしたんです? あなたらしくもない。 もう少し冷静にお願いしますよ。 こちらの立場も考えて行動してくれないと困ります」 古泉は明らかに不快そうに言った。 「お前の立場なんか知るか。 お前はハルヒにへつらって、閉鎖空間で神人でも倒してればいいのさ」 ガッ! 古泉は俺に近づいたかと思うと、右手で本気で殴りつけてきた。 俺は壁にぶつかり、座り込んでしまった。 古泉の顔は初めてみる怒りで満たされていた。 「いい加減にしてください! あなたの軽率な行動がどれだけの人に迷惑をかけていると思っているんですか!」 「なんだよいきなり! お前らのことなんか気にしてられるかよ!」 ガッ! 古泉は俺の胸倉を掴みまた殴りつけた。右フックは顔面をとらえた。 「立て! こんなんじゃ足りない! お前は知らないかもしれないがなあ! ……」 古泉はそれ以上を言おうとはしなかった。 古泉は掴んでいた手を離し、 「すみません。でも、軽率な行動だけは控えてください。 今日は僕も帰ります。失礼します」 そう言うと、部室から足早に出て行った。 「くそ痛てえよ。なんだっていうんだ」 口内から出血していた。訳が分からない。 古泉も朝比奈さんも、それにハルヒも。 いったいみんなどうしたんだ? 俺が悪いのか? その日俺は、痛む口を押さえながら家路についた。 家に着くと、妹は出血をしている俺を見て心配していたが、 俺はとにかく自室にこもり、一人になりたかった。 「なんなんだ? なんで俺は古泉に殴られた。 それに朝比奈さんの行動も不自然だったし、 ハルヒにいたっては意味不明だ」 ベッドに横になりながら、今日のことを振り返った。 「俺はどうすればいいんだ? 謝ればいいのか? 馬鹿らしい。そんなことできるか」 古泉殴られたところがまだ痛む。 平和主義者の俺は今まで人に殴られたことなんてなかった。 人と本気のけんかなんかしたことないし、 そういうことはなるべく避けるようにしてきていた。 「くそっ! 頼みの長門は消えちまった。 SOS団も壊滅状態。俺がなんかしたのか? 俺が悪いのか? いや、俺は何も悪くないはずだ」 ベッドで横になっていたせいで少しうとうとしていた。 突然の電話に驚き、そして画面を見る。 「朝比奈さんか。こんな時間になんだ?」 電話にでるか一瞬迷ったが、 朝比奈さんからの電話はでないと世界がなくなる可能性もあるからな。 「はい」 「あ、キョン君。あの、今から話したいことがあるのだけれど」 やっぱり、何か問題でも起きたのか? 電話越しの愛らしい声はいつになく真剣だった。 「あのベンチに来てください」 「いつですか?」 「今すぐです! 早く来てください。お願いします」 分かりました、という前に電話は切れた。 行くしかないだろ。 俺は帰ってきて制服のままだったが、着替えることもせず家を出て、 ママチャリにまたがり、あのベンチに向かった。 最近自転車をこいでばかりだ。しかも全速力で。 息を切らしてあのベンチへ。 世界崩壊の危機じゃなければいいんだがな。 「すみません。間に合いましたか?」 ベンチには朝比奈さんがうつむきながら座っていた。 外はもう真っ暗で、街灯だけが辺りを照らしていた。 「ごめんなさい、急がせちゃって。大丈夫、間に合ってます」 「よかった。横に座っていいですか?」 「どうぞ」 朝比奈さんは少し驚いた様子だ。まだ、うつむいたままだ。 俺は横に座ると朝比奈さんの横顔を見つめた。 綺麗な顔立ち、俺を満たしてくれる。 なんでこんなに丁寧に作られているのだろう。 朝比奈さんを見るのをやめて、街灯を見た。 黄色い光を放つ街灯の周りを蛾が四匹ほど飛び回っていた。 そして、考えた。 俺は朝比奈さんに聞いておかなければならないことがある。 なんで今日あんなことを言ったんだ? 「あの(あの)、朝比奈さん(キョン君)」 こういう時に限って人っていうのは重なるものである。 「朝比奈さんからどうぞ」 「いえ、キョン君から」 しばしの沈黙。俺から話すことに決めた。 「分かりました。聞きたいことは一つです。 なんで今日あんなことをいったのですか?」 「それは……」 「今まではハルヒの機嫌をとることでSOS団は成り立ってきた。 でも、朝比奈さんは突然ハルヒを突き放すようなことをいって出て行った。 もしかして、これも規定事項とはいいませんよね?」 「今回は未来からの要請がありました。涼宮さんから離れなさいって。 そして離れるにはなるべくきついことを言わないといけなかったんです。 涼宮さんはとても強い人ですが、とても打たれ弱いんです。 ましてやわたしみたいにいつも可愛がっていた人に嫌われるのはとても悲しいことでしょう?」 朝比奈さんは泣き笑いみたいな顔で俺を見つめた。 「悲しいことですよね」 「そう。できればしたくなかったんです。 わたしは涼宮さんが大好きだし、SOS団のみんなも大好きなんです」 朝比奈さんはうつむいて、声を震わせながら言った。 「みんなと一緒にいられなくなっちゃいました。 ああ、なんでこんなに突然だったんだろう。 まだやりたいことはたくさんあるのに。 でも、いつかは別れる時が来るの」 「いつかは別れる時が来る」 俺は朝比奈さんの言葉を復唱した。 「分かってたんです。こんな風に悲しくなるっていうのは。 でも、SOS団での楽しい日々のおかげでそんなことは忘れてました。 最初にこの時代に来た時、誰とも仲良くならないつもりでいたんです。 だって、絶対別れが来るって決まってるんですよ? だけど、SOS団や鶴屋さんとはいつの間にか仲良くなっていました。不思議な人たちです」 「鶴屋さんは誰だろうと友達になれそうな人ですからね」 「そうですね」 「ところで、朝比奈さんが聞きたかったことってなんですか?」 「あ、はい」 朝比奈さんは両手を重ねていじりながら、ぽつぽつと言った。 「わたし自身のことなんです」 「朝比奈さんのことですか」 俺がそういうと朝比奈さんは俺を真っすぐに見た。 その顔には涙が伝っていた。 「わたし、すごく悔しいんです」 「悔しい?」 「だって、他のSOS団のみんなはちゃんと頑張ってるんです。 わたしだけ、なにもできないんです。 わたしはお茶を煎れてあげるぐらいしかできない。 涼宮さんの言うことを聞いて、衣装を着るぐらいしかできない わたしは未来に動かされているだけで、何もできない。 だから、せめてみんなを癒してあげるくらいしたかったの」 朝比奈さんは一呼吸置いて続けた。 「なんで、こんなことキョン君に言っちゃうんだろう? わたしはこの悔しさを持って帰るつもりだったのに」 「持って帰る? 朝比奈さん、未来に帰っちゃうんですか?」 俺はすでに分かっていた。 ハルヒの能力がなくなれば、朝比奈さんはこの世界にはいられなくなる。 「そうです。キョン君にお別れを言いに来ました」 「やっぱり、朝比奈さんもいなくなるんですね」 「やっぱりって、あ、そうか長門さんから聞いているんですね」 「そうです。長門はハルヒの能力が収束しているって言ってました」 「そうですか」 「どうして長門も朝比奈さんも、もうちょっと前に言ってくれないんだ。 そうしたらみんなでお別れパーティーの一つだってできたかもしれない」 俺はどうしても朝比奈さんを直視することはできなかった。 「すみません。禁則事項です」 それに、と朝比奈さんは続けた。 「今ここにいるのも本当は禁則事項なんです わたしが予測不能の行動に出るといけないから。 でも、わたしはキョン君に伝えてから帰りたいです」 「伝えてから?」 「本当は言っちゃいけないことなんです。 最重要の禁則事項なんです。 でも、言わないと。私はもう帰らなきゃならないから。えっと」 朝比奈さんはそこまで言うと、突然頭を抱え、じたばたし始めた。 「あ、ダメ! そんな止めて! もうだめなの?」 朝比奈さんが何を言おうとしてるかは分かった。 それはハルヒにとってはおそらく最悪の禁則事項だろうと思われた。 でも、今は横から抱きついて、首に手を回している朝比奈さんの体温を感じていたかった。 ぎこちないその行動を抱きしめ返すことはできなかった。 「キョン君。わたし、ねえキョン君、…キョン君!」 朝比奈さんが耳元でささやく。 俺は興奮していたが、朝比奈さんの言葉を冷静に聞いた。 「ごめんなさい。俺は答えられそうにありません」 「ご、ごめんなさい」 朝比奈さんは俺から離れると、 「ごめんなさい。あっちを向いてもらえますか?」 俺は朝比奈さんが指差したほうを見る。 朝比奈さんとは反対側のほうだ。 向かいないと朝比奈さんに迷惑がかかるだろ。 「時間です。ごめんなさい。ありがとう」 振り返ると、朝比奈さんはいなかった。 俺は立ち上がり、ポケットに便箋が入っていることに気付いた。 俺は破らないように丁寧に開けた。 ――キョン君、わたしはあなたが好きです。 でも、忘れてください。 ごめんなさい。なにもしてあげられなくて。 ごめんなさい。やくただずで。 ありがとう、キョン君。 また、会えるといいですね。 PS.文章短くてごめんなさい。 好きです。―― それは手紙という形をとる。 口に出せないもどかしさ。朝比奈さんの気持ちが少しだけ伝わった気がした。 「朝比奈さん、あなたは俺のアイドルです」 ごめんなさい。また会えるよな? 街灯の明かりだけが残された惨めな俺を優しく照らしてくれた。 俺はその場で一時間ほど呆然と立ち尽くしていた。 一時間というのは家に帰ってから分かったことなのだが。 自分の部屋のベッドに寝転ぶと、俺はようやく事の重大さに気付いた。 長門が消え、朝比奈さんも未来へと帰った。 「次は? 古泉か? だが、古泉はこの世界の人間だ。消えることはない。 もしかして? いやそんなことはないだろ」 自問自答を繰り返しても、古泉に対する答えは最悪のものとなった。 今日の古泉はいつもとは違った。 柔和な笑顔は消え、鬼気迫る表情で俺を殴った。 おそらく古泉もハルヒの能力が消えることによって、 何かしらの被害を被っているに違いない。 「俺はどうなるんだ? ハルヒの能力がなくなることで俺も困ることがあるのか? そもそも俺は関係ないだろ。 ただ、あのSOS団のメンバーで集まれないだけだ」 長門に会いたい。それに、朝比奈さんにも。 会ってまた馬鹿なことがしたいんだ。 俺はその日、やるせない気持ちで眠りについた。 次の日、ハルヒは学校に来ていた。 昨日のことが何もなかったかのように平然と授業を受けていた。 俺はなんだかやる気も出なくて、いつものように授業を寝て過ごした。 帰り際、ハルヒが、 「キョン一緒に帰るわよ、話したいことがあるの」 というので、仕方なく俺はハルヒと帰ることに決めた。 俺はなるべく一人でいたかったのだがな。 で、帰り道。 ハルヒはうつむいたまま俺の前を歩いていて何も話す気配はない。 そのまま、ずっと黙ったままだった。 踏み切りに着くとハルヒは立ち止まり、振り返った。 そして俺をゆっくりと見つめた。 「ねえキョン。あたしおかしいかな?」 「どうした気でも狂ったのか? もとから狂ってる気もするが」 「違うの。あたしはいつだって自分のことを正しいって思ってるわ。 むしろ他の人のがおかしいぐらいよ。 楽しいことを探して、楽しいことをする。すごくまっとうじゃない。 でも私がいってるのは違うの」 ハルヒは続けた。 「前からおかしいとは思ってた。 例えば去年の映画撮影。本当に桜が咲くと思う? 季節は正反対なのよ? その時あたしは『桜が咲いたら絵になるな』と思っていたの。 他にもたくさんあるわ。 雪山でのあの白昼夢だってそうだし、あんなの白昼夢だけで済ませると思う? 実際に体験してしまってるのに、それはないわよね。 でもね、あたしはなにも言わなかった。 言ったら、楽しいことが逃げていってしまう気がしたから。 このまま知らないふりをし続けて、SOS団のみんなで楽しくやっていきたかったの。 でも、それももう終わり。 有希もいなくなっちゃたし、みくるちゃんも出て行っちゃった。 あたし何か悪いことしたのかな? ただあたしは素直に楽しいことだけをやっていきたかっただけなのよ」 俺は押し黙ったまま立ち尽くしていた。 ハルヒは気付いているのか? 気付いたらどうなる? 今すぐ世界が消えてなくなるなんてことはないよな? 「キョン、答えて。 あたしには何かしらの不思議な力があると思うの。 それだけじゃない。有希だって、みくるちゃんだってどこか変。 それぐらいあたしでもすぐに気付くわ。 気付くべきイベントはたくさんあったもの。 これで気付かないほうが変だわ。 そして今回のことで確信したの。ああ、あたしは正しかったんだって。 キョンは何か知ってるんじゃない?」 俺は呆然としてしまっていた。 どうしようもない。ハルヒは気付いてる。 仕方がない。仕方がない。どうしようもないじゃないか。 答えるべきなのか? 答えてそれで? 世界は? 「もういい。帰る」 結局俺はなにも言うことができなかった。 ハルヒは寂しそうな顔をして、立ち尽くす俺を見つめていた。 「キョンはやっぱりキョンね」 それだけを言ってハルヒは走って帰ってしまった。 ごめん、ハルヒ。何も言えなくて。 怖かったんだ。 古泉は言った、ハルヒが自らの能力を認識した時、予測できないことが起きる。 俺はどうすればよかったんだ? 俺は決定的な答えを持ち合わせてなどいなかった。 ただ、ハルヒの一人語りを聞き続けただけだった。 傍観者でいたはずが、当事者に代わっていた。 でも、力なき当事者だ。 何にも抗うことができず、将棋の駒のようにただ動かされるだけだ。 それが、一般人ってものじゃないのか? 知らない間に動かされて、利用されて、捨てられる。 俺はそんな普通の人なんだよ。 悪いか? 俺は悪いのか? 誰か代わってやるよ、こんな役。 朝比奈さんは泣いた。 自分は何もできないと。自分はただ動かされているだけで、何もできない。 だから、せめてみんなを癒してあげるくらいしたかったんだって。 それがわたしの役割だったんだって。 くそっ! 俺は何をすればいい。俺の役割はなんだ。 俺はどうすれば。 また、あの日のSOS団に戻すことができる? chapter.4 おわり。 chapter.5
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付き合って3ヶ月目の俺とハルヒ。今日は日曜日。 昨日は探索をこなし、今日はデートの予定だ。天気は快晴、気候もよし。 「なのに、なんでお前の部屋で二人で寝てんだろうな」 「知らないわよ、そんなの。あ~、良い天気ね」 「ハルハル~、外にデートに行こうぜ~」 「行かない、疲れてるもん。それとキョン、その呼び方やめなさいって何度言ったかしら?」 自分だって、俺を名前で呼ばないじゃないか。とは言えない。 だから、俺は何度でもそう呼ぶことで反抗するのさ。 「ハルハル~。昼飯も食べないといけないだろ~?」 やはり、ポカポカ陽気のせいか話し方までダラダラしてしまう。 「後であたしが作ってあげるわよ。……今度『ハルハル』って言ったら別れるわよ」 「そんなこと言うなよ、ハルハル~」 「あ、もう怒った。二度と口きかないんだから」 ハルヒは俺に背を向けるように寝返りをうった。……本気で怒ったか? しかし、この呼び方は意外に気に入ってたりする。 「ハルハル? 怒ったのか?」 「……………………」 返事はない。ただの屍のようだ。とか言ってみる……無理。本気で殺される。 「ハルハル、こっち向かないと……キスするぞ?」 「……………………」 返事はない。OKの証だ。俺はハルヒの首を捩じり、優しく口づけた。 「ちょっと! 勝手に何してんのよ!」 「いや、こっち向かないとキスするって言っただろ?」 「言ったけどさ……もっとほら、雰囲気とか……」 ハルヒは拗ねたように唇を尖らせた。その唇にもう一回キスしてみる。 「だーかーら!」 「今、キスして欲しかったから唇を尖らせたんだろ?」 大きな溜息の後、ハルヒは無言でまた背中を向けた。そろそろマジギレか? 「……………………」 ……遊ぶのは終わりだな。背中から『あんたなんか嫌いオーラ』が出てる。真面目に謝ろう。 「ハルヒ、俺が悪かった。俺はただ、お前とデートがしたかったんだよ」 「……あたしはただあんたと一緒に居たいだけなのに」 背中を向けたまま放たれたその言葉は、どこか『いじけた感』を感じさせる発音だった。 あぁ、やっぱり怒ってるな。しかしその理由がまたかわいい。 「俺が悪かった。だから機嫌直せよ、な?」 ここで後ろから抱きついてみる。これで機嫌直してくれるか? 「……離してよ、別れるって言ったじゃない」 まだ機嫌は直らない。しかし、伊達に3ヶ月も付き合ってるわけじゃないぜ。 こんな時の対処法もバッチリだ。ハルヒが頑なな態度を崩さない、そんな時は……突き放す。 「あぁ、そうか。勝手に抱きついたりしてわるかったな、『涼宮』」 「……え?」 「じゃあ、俺帰るから。また明日学校でな、『涼宮』」 ここで足早に立ち去る。……フリだけどな。 「え、ちょ……ま……待ちなさい!」 ほら来た。 「う~……ごめん。あたしが調子に乗りすぎた」 付き合って初めて見たハルヒの謝る姿。これがまた、意外にかわいいんだ。やみつきになるね。 それに考えてみろ。あの、何者にも屈しないハルヒが自分に謝ってくるんだぞ? ある一種の征服感を感じないわけにはいかないだろ? 「だから……もっかい」 仲直りのキスを求めてくるんだ、こいつは。まぁ、キスとか抱き締める以上のことはしないんだけどな。 ハルヒが求めてくるまで、俺はそれ以上をしようとは思わん。それに今のままで充分満足だ。 俺は一言、「しょうがないな」と言ってベッドに戻り、ハルヒに口づけた。 まったく、可愛らしい奴だ。ハルヒに気に入られた俺は幸せ者だな。 「あたし、ご飯作ってくるわ!」 そして、仲直りの後はいつものことだが、照れ隠しのために理由をつけて目の前を去るんだ。 ここら辺、ハルヒらしいなと俺は思う。 ハルヒの作ってきたかなり美味い昼飯を食べ、再びゴロゴロダラダラの時間へ。 いい加減どっか行かないか? と言おうと思ったが、やめた。 これはこれで幸せだからな。特に買い物がしたいわけでもないし、どこかでイベントがあるわけでもない。 ハルヒにうで枕をして、たまに言葉を交わす。そして、たまに抱き合ったり、唇を重ねたりする。 これが幸せだと思えない奴がいたら俺に教えろ。俺の幸せそうな表情を見せてやるから。 「ねぇ、キョン。どっか行きたいなら行ってあげてもいいわよ?」 おっと、これは予想外だ。いつもはこんなことは言ってこないんだけどな。 あらたなパターンを知るイベント発生か? ……まぁ、俺の選択肢は決まってるがな。 「いーや、遠慮しとく。お前は行きたいのか?」 するとハルヒは、こんなことを言いだした。 「違うけど……あんたがしたいことがしたいからさ」 ……フラグ成立か? 俺がここで一言、「ちょっとエッチなことがしたい」とか言うとどうなる? さすがに断るよな。「あんたキモすぎるわ」とか言われて。 しかし、初めての展開ならやってみる価値はある。もちろん、最後までやる気は毛頭無いが。 「俺がしたいこと? ん~……お前とちょっとやらしいことがしたい」 さぁ、どう出る? 困るだろ、顔真っ赤にして……かわいいんだよ、バカ! 「……い、いいわよ」 ハルヒは小声で言った後、強く目を瞑った。ヤバい、このまま突入だけはヤバい。 「や、優しくしなさいよ……」 なんでこいつは予想外のことをするんだよ……。しかも「優しくしなさいよ」ってなんだよ。 ……我慢できなくなるだろ、バカ。 とりあえず、ハルヒを跨いで座り、上からキスしようと顔を近付ける。 「……っ」 あ~、やっぱダメだ。こんな顔をしてる奴とやるのは無理。あたし我慢してます、みたいな顔するなよ。 俺はハルヒの額に頭突きをかまして、再び横に寝転んだ。 「あたっ! ……キョン、なんでやめるのよ! あ、あたしは全然怖くなんてないんだから!」 「冗談だよ、冗談。無理しなくても、ずっと俺は好きでいてやるよ」 ハルヒに対して優位に立っているとこんなセリフが出るもんさ。 今の俺はなかなかカッコいい部類なんじゃないか? あ、勘違いか、すまん。 「キョン、ありがと……」 ケンカ(もどき)の後のハルヒは完全に言いなりだな。ま、他の奴等といる時は完全に俺が下だが。 それくらいのサービスをもらってもいいよな? 普段は俺がこき使われ、二人なら俺が優位。これが俺達のバランスの取りかたらしい。 つーか、幸せなら何でもいい。バランスもいらん。ただ二人だけの時間が増えさえすればな。 「すー……すー……」 おっと、うで枕が気持ちよかったのか、眠りはじめやがった。これでまた、俺の腕は痺れることになるな……やれやれ。 しょうがないから俺も寝るか。それじゃ、おやすみ……。 おわり
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俺は植物園の南側に小隊を集結させていた。とはいってももはや無事な生徒は10名しかいなかったため、 学校から補充要員として送られてきた生徒10名を加えて総勢20名となっている。 現在の状況はこうだ。植物園北側は古泉の小隊が押さえて、敵の侵入を阻止している。 エスパー戦闘経験のある古泉の度胸はとてもよく、敵の攻撃をものともせずに押さえ込んできた。 一方の南部が問題だ。鶴屋さん部隊も俺たちと同じく包囲状態になり、完全に孤立してしまっていた。 さらにここ2時間近く連絡すら取れない状態に陥っている。そのため、長門の支援砲撃ができない。 闇雲に撃ち込んで、間違って鶴屋さんたちに当たれば本末転倒だ。 それを救出するべく俺たちは森との境界線に陣取っているんだが、 向こうも南部への移動を阻止するように抵抗が激しく、鶴屋さんの救出どころか、植物園から森に侵入すらできていない。 何とか森との境界にある小さい丘に身を隠し、敵の銃撃を受けないようにしているだけである。 「ガンガン撃ち込んでくれ、長門!」 俺は膠着状態を打開するために、徹底的に砲撃をさせていた。向こうが壁を作って通さないというなら、 こっちは完膚無きまでそれを破壊しつくまでだ。しかし―― 「だめだね。まだこっちに向かってガンガン銃撃してくるよ」 「どこに潜んでいやがんだ。さっきからあれだけ撃ち込んでいるってのによ!」 国木田の言葉に俺は吐き捨てるように怒鳴った。ここに来て、砲弾を受けても効果なしなんて言うインチキを 始めやがったんじゃないだろうな? また、目前で4発の迫撃弾が着弾した。轟音と砂が顔に降りかかってきたので、あわてて頭を下げる。 「油断するとヘルメットごと頭を持って行かれるかもね」 となりで物騒なことをひょうひょうと言うのは国木田だ。どうしてこいつはこんなに度胸が据わっているんだ? 俺はずれたヘルメットをかぶり直しつつ、 「砲撃で効果がないってなら、別の方法を考えないと――ん?」 そこまで言って気がつく。先ほどの着弾以降、敵側からの銃撃がぴたりと収まっていた。 ようやくクリティカルヒットだったか? 「よし……一気に前進するぞ。ついてこい」 俺は慎重に腰をかがめながら立ち上がり、丘を登り始める。同時に小隊全員がそろそろと俺についてきたが…… 「……ぶっ!」 情けない声とともに、俺は丘の下に引きずりおろされた。だれかに服を強引に引っ張られたようだが―― 同時に丘の向こうで悲鳴が飛んできた。さらに、身体に銃弾がめり込むいやな音と血しぶきも一緒にだ。 あわてふためいた生徒たちが次々と丘の下に飛び込んでくる。 「キョン、大丈夫かい!?」 俺を丘の下に引きずりおろしたのは国木田だった。何を考えているんだと怒鳴りそうになった瞬間、 その意味を理解する。頭の上を飛び越えていく銃弾の荒らしと、丘の向こうから聞こえてくる絶望的なうめき声を聞けば、 どんなバカでも理解できるはずだ。 答えは簡単。またしても、敵の罠に引っかかったのだ。砲撃の着弾と同時に、銃撃をやめる。 やったと思った俺たちがのこのこ丘を越えてきた時点で狙い撃ち。こんな単純な手に引っかかるとはバカか俺は! 俺はそろりと丘から頭半分を出し、どうなっているのかを確認した。そこには血まみれになった生徒二人が 倒れている。一人は突っ伏したまま動かず、もう一人は痛みのあまりうめいて手をばたつかせていた。 あまりの悲惨さに思わず身を乗り出して手を出そうとするが、それを阻止すべくまた敵の銃撃が始まる。 数発が負傷した生徒に命中し、さらなる悲鳴を上げた。奴らには情ってモンがないのか!? 「助けないと!」 俺は飛び出して行こうとするが、またも国木田に制止させられる。 「冷静に! とにかく、こっちも撃ちまくって向こうの頭を下がらせるんだよ。その隙に救出するべきだね」 「く……わかった。すまんが頼む」 国木田の案を受け入れて、俺は生徒たちに一斉射撃を命じた。全員一気に立ち上がるとそこら中の茂みに向けて乱射を始める。 敵側の銃撃が収まったことも確認せずに俺は丘から身を乗り出し、負傷した生徒を丘の下に引きずりおろした。 同時に動かなかった生徒を小隊の一人が同じように引きずりおろす。 俺が助けた方は、名前も知らない女子生徒だった。全身の銃弾を浴びて、傷だらけどころかぐちゃぐちゃだ。 「ハルヒ! 負傷者だ! ひどい怪我なんだ! 誰かよこしてくれ!」 『わかった! 何人か向かわせるわ!』 無線連絡後、ハルヒ小隊の何人かが、その女子生徒を回収していった。すでに瀕死の状態だったが、 それでもまだ生きている以上、こんな弾の飛び交う場所に置いては置けなかった。 「くそっ……」 俺は丘の下で座り込み、ヘルメットを取ってため息をつく。やりきれなさすぎる。 鶴屋さんたちを助けたいがどうすることもできない。無理につっこめば、こっちの犠牲が増えるばかりだ。 救出する方が損害大では意味がない。どうすればいい? いっそ鶴屋さんたちが自力で戻るのをここで待つか? 包囲状態とはいえ、そのままでいるわけもないし、こっちに移動してきているはずだ。 だったら、それを向かえ入れた方が…… と、突然そばにいた生徒から無線機を渡される。古泉からの連絡らしい。 「なんだ古泉。今はおまえの話を聞くような気分じゃないぞ」 『それだけ言えるならまだ無事と言うことですね。安心しました』 全然安心できねえよ。あっちもこっちもめちゃくちゃで、頭がおかしくなりそうだ。 いや、普段の俺だったらとっくにおかしくなっているだろうよ。ちくしょう、一体どれだけ俺の頭の中をいじくりやがったんだ。 『それはさておき、そっちの様子はどうですか?』 「その前におまえの方を教えてくれ。聞く前にまず自分から言うもんだろうが」 自分でもそれは違うだろと自己つっこみをしてしまったが、古泉は苦笑しているような声で、 『こっちはなかなか派手な状態ですよ。北部一帯で防御戦を引いて何とか敵の植物園侵入を阻止していますが、 向こうも焦っているんでしょうか、携帯型のロケット弾ぽいものを持ち出してきました。 さっきからそれの雨あられですよ』 それでも防御線を守りきっているのか。本当にたいした奴だな。ハルヒの見る目も。 『そろそろ本題に移りましょうか。どうやら、そっちは未だに鶴屋さんのところにたどり着けていないようですね』 「ああ、腹立たしいがその通りだ。敵の抵抗が厳しい上に、砲撃が全くきかねぇ。これじゃどうしようもない。 正直、侵入はあきらめて鶴屋さんが戻ってくるのを待ったほうがいいかと考え中だ」 『それは待ちぼうけになるからやめた方が良いですよ』 なに? それはどういう意味だ? 『ここに来るまでの間に、涼宮さんと鶴屋さんの無線連絡を耳に挟みましてね、いえ、盗み聞きしたわけではありません。 すごい剣幕で話しているからいやでも耳に届いたんですよ』 ハルヒと鶴屋さんが言い争い? 全く想像ができないぞ。どういうことだ? 『完全に聞いたわけではありませんが、大体想像がつきます。鶴屋さんは、目的であったロケット弾発射地点を 制圧するまで撤退するつもりはありません。たとえ、誘い込むための罠であってもです』 「うそだろ……」 俺は唖然としてしまった。さらに古泉は続ける。 『気持ちはわからなくないですね。あなたの方は、逃げた敵の掃討だったので、 罠とわかればあっさりと撤退が可能です。実際にそうなりましたしね。しかし、鶴屋さんの方は違う。 たとえ、罠であってもここで発射地点を制圧しなければ、北高への攻撃は続行されるでしょう。 結局はまた制圧に向かうことになる。それでは同じ事の繰り返しです。ならば、どんな犠牲を払ってでもとね。 できることなら犠牲を出したくないという涼宮さんとは完全に対立するでしょう』 ハルヒは自分で何でもやりたがるタイプだ。間違っても自分の作戦で他人が死にまくっても平然としているような奴じゃない。 そんなことになるくらいなら、ハルヒ自身がやろうとするだろう。今思えば、植物園にハルヒ小隊を置くと 頑固に言い張ったのも、指揮官が前線に出るなんてという考えと、できるなら自分が戦っていたいという考えの ぎりぎりの妥協点だったかもな。 そして、鶴屋さん。正直なところ、鶴屋さんの人物像はつかみづらい。すごい人であるという認識程度だ。 今回だって包囲状態に陥ってもなお発射地点制圧をすると強弁できるなんて常人には―― 待てよ? ひょっとして鶴屋さんは最初からこれが罠であるとわかっていたのか? 『僕もそう思いますね。鶴屋さんは罠の可能性を強く疑っていたのではないでしょうか。 だからこそ、たとえ罠だとはっきりしても目的を変更するつもりはない。そう言うことでしょう。 また、あの時、罠である可能性をしてきた僕の意見に対して何も言わなかったのは、 罠であろうがなかろうが関係ないということだったのでは』 鶴屋さん……あなたって人はっ……どこまで俺たちの上を行くつもりなんですか? しかし、そうなると未だに鶴屋さんが帰還しないと言うことは、制圧もできていないと言うことだ。 『そうでしょうね。だからこそ、あなたには鶴屋さんのところへ向かってほしいんです。 救出ではなく加勢としてね』 古泉の言葉で俺の腹は決まった。何としてでもここを突破する。それしかない。だが、どうすりゃいい? 『確証はありませんが、敵の動きは涼宮さんの性格を強く意識しているように思えます。 今回の待ち伏せを考えてみてください。敵は北山公園で待ちかまえると同時に、遠距離から北高を攻撃しました。 この場合、我々にはいろいろ選択肢があります。たとえば、こちらの砲撃で徹底的に北山公園南部を砲撃する―― これは長門さんが効果が薄いと言っていましたが。また、校庭にヘリコプターもありましたから、 あれで発射地点を確認し、少数部隊でピンポイントで叩く。砲撃に耐えながら、学校に完全に立てこもって 籠城という手段もありますね。考えればもっといろいろあるかと。 しかし、涼宮さんの性格上、確実に北山公園全土制圧を一番に考えるでしょう。 やられっぱなしなんてもっとも嫌がりますし、ピンポイント攻撃だと相手が逃げ回って延々と追いかけ回すことに なりかねません』 また頭上を飛んでいく銃弾が激しくなってきた―― 『このようにたくさんの可能性がありながら、敵は誘い込んで待ち伏せという手段をとっていました。 完全にこちらの動きを読んでね。涼宮さんの性格を知っているからこそ、迷わずにその手を採用したんです。 そして、自らが決定した作戦のせいでたくさんの犠牲者を出したことになれば、 涼宮さんに与えるダメージは半端ではありません』 「ハルヒの考えを読んでいたとは限らないだろ。敵はこれだけの世界を簡単に作り出しちまうんだ。 なら、俺たちは常に監視されていて、こっちの動きが筒抜けの可能性だってある」 『ええもちろんです。しかし、たとえそうであっても敵の目的が涼宮さんであることには違いありません。 それを最優先に動いてくるはずです』 なるほどな。なら敵はロケット弾発射地点を死守したりすることよりも、ハルヒに精神的苦痛を与えることを 最優先に考えているって事か。 『話が早くて助かります。敵の動きと涼宮さんの考えと照らし合わせれば、おのずと敵の動きも読めるのではないでしょうか。 今言えることはそれくらいですが――おっと、ちょっとこっちも活気づいてきてみたいですね。 あとはお任せします。ではまた』 そこまでで通信は終了。俺はサンキュと無線を持った生徒にそれを返す。 さて、どうするか。敵は砲撃ものともせずに、俺たちの鶴屋さん小隊との合流を阻んでいる。そこまで粘る理由は? そりゃ、包囲状態にした敵――鶴屋さんたちと増援の俺たちの合流を許すわけがない。いや待て、その考えじゃダメだ。 こうやって、俺たちが何もできずにただ時間がたっていることにハルヒは相当のいらだちを覚えるはずだ。 だから、こうやって俺たちの足止めを行っている……よし、この考えで良い。 そうなると、敵はできるだけ鶴屋さんの孤立状態に陥らせることに専念するはず。では、どうする? 「……ちっ」 結局、相手の考えを読んだところで何も変わらねぇ。敵の目的と俺たちの目的が完全にぶつかっているからだ。 なら、ここからの鶴屋さんの場所に向かうのはあきらめて、数名で北山公園のすぐ南にある光陽園学院に行き、 そこから北上して行くか? いや、敵は信じられないことを平然とやっているんだ。その動きを読まれて、 すぐに防御線が築いてしまう恐れもある。 だったら目的を変更してやればいい。俺の目的は鶴屋さんへの加勢なんだから……加勢に行かない? ふざけんな。 そんなまねができてたまるか。じゃあ、いっそ南部を手当たり次第砲撃するように長門に指示するとか……鶴屋さんを殺す気か? ん、ちょっと待てよ? ハルヒは全員の植物園までの撤退を望んでいるという。だが、鶴屋さんはそれを拒否して、 未だに発射地点制圧を行っているんだ。ならそれは敵にとって想定外の事態じゃないか? 鶴屋さんの後退を阻止するのではなく、発射地点を防御しなけりゃならないからな。 でも、発射地点は敵にとってさほど重要なものではないと思える。俺たちをここに誘い込むだけの利用価値のはず。 さっさと鶴屋さんたちに破壊させて、包囲状態にでも何でも置けばいい。だが、確信を持って言えるが、 鶴屋さんたちはまだ発射地点を制圧できていない。何の証拠もないが、無線連絡が取れなくても、 あの人なら何らかの手段で俺たちにそれを伝えるはずだ。絶対に。 俺はふとあることを思いついて、無線機を取る。話す相手は朝比奈さんだ。場違いな相手じゃないかって? だが、俺たちの中で一番鶴屋さんのことを知っているのは、朝比奈さんであることに間違いないだろ? 『キョンくん! 大丈夫なんですかぁ!?』 焦りきったマイエンジェルの声に俺はいくらかの癒しパワーを受け取ってから、 「ええ。何とかまだ生きていますよ。ところでちょっとお話が」 俺は今の状況を端的に話す。俺が知りたいのは鶴屋さんならどうするのかとか、 鶴屋さんならどのくらいできるだろうとかだ。 朝比奈さんはう~んといつも以上に悩みながら、 『そうですねぇ……わたしが言えるのは鶴屋さんは本当にすごい人です。だから、そんな危ない状況でも 簡単に抜けられちゃうんじゃないかなぁって思うんです。でも、何でこんなに時間が……』 今の会話に俺は何かを感じた。どこだ? すごい人の部分か? そんなことは俺もわかっている。 簡単に抜けられちゃう……ここだ。そうだ、包囲状態でも攻撃を続ける鶴屋さんなら 植物園までの後退は簡単にできるんじゃないか? だからこそ、敵は鶴屋さんを引き留めるために 発射地点を死守する必要がある。それなら、理屈が合うってもんだ。 『でもぉ……ひょっとしたら……』 「朝比奈さん」 まだ独白のように続ける朝比奈さんの言葉を遮り、 「ありがとうございます。おかげで考えがまとまりましたよ。すごく助かりました」 『え……えっ?』 何が何やらわからない朝比奈さんがかわいらしすぎてもだえそうになるが、ここは我慢だ。それどころではないからな。 「じゃあ、また学校で会いましょう。戻ります」 『待って!』 突然、朝比奈さんからせっぱ詰まった声が飛ぶ。 『鶴屋さん……いえ、みんな無事なんですか? ここからじゃ、一体何が起きているのかさっぱりわからなくて……』 今にも泣き出しそうな――いや、もう涙ぐんでいるのかもしれない声が無線機から漏れてきた。 俺はどう答えるべきかしばし考えた後、 「大丈夫ですよ。SOS団はまだ健在です。鶴屋さんもきっとぴんぴんしていますよ』 俺は事実だけを言った。でも、谷口は死んだとは言えなかった。 朝比奈さんは俺の言葉にほっとしたのか、 『がんばってください。また学校で』 そう言って無線を終了した。すみません、朝比奈さん。 そこに国木田が丘の下に滑るように降りてきて、 「で、キョン。どうするのさ」 「今はこのままだ。しばらくしたら絶対に変化が起きる。そしたら、こっちも動くぞ」 国木田は俺の自信めいた口調に疑問符を浮かべながらも、また丘の上の方に戻っていった。 これから起きることは二つだ。まず第一に鶴屋さんが発射地点を制圧する。そうなった場合、 あらゆる手段を使ってでも、俺たちにそれを知らせてくるだろう。次に鶴屋さんたちが全滅する――考えたくもないが。 だが、この場合は敵が発射地点の防御を行わなくなることから、植物園に対する攻撃の動きが変化するはずだ。 今はどちらかが起きるのを待つ。これでいい。 ◇◇◇◇ 変化は意外に早く起きた。俺が待ち始めてから15分後、一発のロケット弾が北山公園南部から発射されたという 長門からの無線連絡が入ったのだ。同じ頃に、南部でひときわ大きい爆発音がとどろいている。 ただし、発射されたロケット弾は 『こちらは攻撃を受けていない。確認した限りでは、北山公園から東側に向けて発射された。今までとは明らかに違う』 以上、長門からの報告。もう俺は即座に確信し、ハルヒへと連絡する。 「おい、長門からの話は聞いたか?」 『聞いたわよ! これは鶴屋さんからの敵制圧の合図に違いないわ! さっすがSOS団名誉顧問だけのことはあるわね!』 「ああ、俺もそう思う。で、俺はどうすりゃいい?」 『とにかく、あんたがぼさっとしている間に向こうはけが人とかでているに違いないわ。 とっとと助けに行きなさい! 以上、命令終わり!』 やれやれポジティブ思考が復活しつつあるようだ。でも、その方がハルヒらしくて安心できるけどな。 「さてと……」 敵はしつこく俺たちに向けて銃撃を続けている。これからどうするか。ハルヒは助けに行けと言った。 なら、敵はそれを阻止するように動くのか? いや待て、それでは今までと大して変わらない。 もっとも大きな精神的ダメージを与える方法は? 俺は結論を出したとたん、笑い出しそうになった。ひょっとしたら初めて敵を出し抜けるかもしれないと思ったからな。 また、俺は無線で長門に連絡し、俺たちの動きを阻止している敵にめがけて、10発ほど砲撃を行うように指示する。 そして、数分後的確な砲撃が俺たちの目前に降り注いだ。今まで以上の轟音に俺は耳を押さえて、鼓膜を守った。 着弾音の余韻が通り過ぎると、辺りに静寂が戻ったことを【確認】する。 「また罠かな?」 国木田は警戒心を表していたが、俺はそれを無視し、一人で丘の上に立ち上がった。 「キョン! 何をやって……え?」 抗議の声を止めたところを見ると国木田も気がついたらしい。まったく弾丸は飛んでこないことに。 俺はそのまま小隊の生徒たちを待機させたまま一人じりじりと前進し、森の中に数歩はいる。砲撃のすさまじさを 表すように地面が穴だらけになっていた。しかし、敵は一人もいない。 確認完了だ。俺は右手を挙げて、小隊を前進させて森に入らせた。 ◇◇◇◇ 「やあ……キョンくんひさしぶり……でも、ダメじゃないか……敵は……」 鶴屋さんの力ない声が耳に流れ込んでくる。ほとんどかすれ声だった。だが、言おうとしていることはわかる。 同時に俺の背後ですさまじい銃撃戦が始まった。俺たちが来た道から背後を突くように、 敵が襲ってきたからだ。だが、この攻撃をわかっていた俺たちにとって、それは背後からの攻撃にはならない。 完全に迎え撃つ準備はできている。 しばらく激戦が続いたが、やがて敵は長門の砲撃を受けて下がっていった。 「すごいね、キョン。何でわかったのさ?」 「俺だって学習能力ぐらいはあるんだよ」 国木田の指摘を軽く流して、俺は周囲を見回す。鶴屋さんがいたのはやはりロケット弾発射地点だった。 すっぽりと森に穴が開いたような場所に一台のトラックが置かれている。その上には ロケット弾を載せるための鉄レールを平行に並べ柵状にした棚が乗っていた。いわゆるカチューシャロケットと言われる 多連装ロケットランチャーだ。こんなもんで俺たちを攻撃していたとはな。 敵の動きは大体読めていた。ハルヒは鶴屋さんたちを助けに行けと言った。そして、敵はすんなりと鶴屋さんのもとに 俺たちを招き入れた。理由は簡単。今度は俺たちを包囲状態にするためだ。北山公園に俺たちを誘い込んだのと 同じ手法である。ハルヒが決定して、そのせいで俺たちが大損害、となればまたまたハルヒに与えるダメージはでかいと 踏んだのだろう。だがな、甘いんだよ。そうそう何度も同じ手が通用してたまるか。 だが、予想外なことも一つだけあった。最悪なものだ。 「ふふっ……そっかぁ……キョンくんも気がついたんだねっ……」 鶴屋さんは息も絶え絶え、寄りかかるように座っている木の根元には血だまりができようとしていた。 周りにいる鶴屋さん小隊の生徒4人も不安げな表情で見つめている。 そう、鶴屋さんは銃撃を受けて今にも息絶えようとしている。くそったれ! やっとここまで来れたってのに! 「鶴屋さん! ようやく来れたんです。早く学校に戻りましょう!」 俺は鶴屋さんを背負おうと彼女の肩に手をかけるが、そばにいた鶴屋さん小隊の生徒から制止される。 衛生兵の役割を担っていた彼は、動かせない。動かせば死ぬだけと沈痛な口調で言った。 「そんな……やっと目的を果たせたんだ! 連れて帰らないと! 大体、おまえら何で指揮官を守ってねえんだよ…… ってそうじゃねえだろ! くそっ! 何言ってんだ俺は!」 あまりの言いように、自分自身に怒りが爆発する。鶴屋さんは自分の配下の生徒たちを力なく見回し、 「責めないでよ……みんな必死にやったさ。無能なのはあたし自身。結局、守れたのはたったの四人だけっさ……」 鶴屋さん小隊の人間から聞いたことだが、植物園から南部に小隊が入ってすぐに攻撃を受けたらしい。 その後、包囲状態に置かれようとしたが、先手を打った鶴屋さんが小隊をさらに3~4人に分けて、 北山公園南部一帯に散らばせた。そのため、敵はその散らばった小隊を追いかけ回し、 鶴屋さんたちはロケット弾発射地点を探し回る。まるで鬼ごっこ+缶蹴りだ。 鶴屋さんたちは空き缶=カチューシャロケットを探し続け、ついに目的を果たした。 目的を果たしたと同時に、散らばった生徒たちは植物園に戻るように指示していたらしいが、 ハルヒに確認した限りでは誰も戻ってはいない。ここにいる生徒以外は全滅したと言うことだろう。 さらに鶴屋さんまでもが…… また、俺の背後で銃撃戦が始まる。しつこい連中だ。いい加減、あきらめろ! 「キョン、このままだとまた包囲されるよ」 「んなことは言われんでもわかるさ……!」 国木田の言葉に、俺は焦燥感だけが募る。このまま鶴屋さんをおいておけるわけがない ――今までさんざん【仲間】を置き去りにしてきただろ? わかっているさそんなことは……! 「行ってほしいなっ……わざわざあたしをえさにしている敵の思惑に乗ってほしくないにょろよっ……」 「わかっています……わかっているんです……!」 どうしても踏ん切りがつかない。だが、それでもつけなければならない。 俺は絶望的な思いで言う。 「つ、鶴屋さんっ……。朝比奈さんに……朝比奈さんに伝えることは……!」 のどが悲鳴を上げるほどに力んで言葉を出しているのに、それ以上口を開くことができなかった。 でも、鶴屋さんはそれを待っていたのか、にっと笑顔を浮かべて、 「悪いけどみくるにはだまっておいてくれないかなっ……きっと気絶なんかしちゃってみんなに迷惑かけちゃうかも」 「わかりました……!」 「あと、あたしの仲間も連れて行ってっ……最期の最期までバカみたいにあたしについてきてくれた大切な仲間っさ……」 「もちろんです……!」 もうここまで来ると俺は鶴屋さんの顔を見ることすらできなかった。受け入れられない現実を拒否したいのか、 耳すら閉じたくなる。 「じゃあキョンくん!」 突然、かけられたいつもの鶴屋さんの声。俺ははっといつのまにか下がっていた頭を上げると、 普段と変わらない笑顔を浮かべ、俺の方にぐっと腕を突き出した鶴屋さんがいた。 「また学校で!」 その言葉と同時に、鶴屋さんは全身の力が抜け落ち、頭も完全にたれた。元気よくつきだしていた腕も、 力を失って地面に向かって落下する。 すいません鶴屋さん。絶対に元の世界に戻ってまたいつものように騒ぎましょう。でも、ここにいて、 果敢に戦い抜いた今のあなたのことも絶対に忘れません……! 俺は目に浮かんでいた涙をぬぐい、周りにいた鶴屋さん小隊の残りを見回す。皆一様に指揮官の死に涙していた。 これは絶対に作られた感情ではなく、本人の本来の意志によるものだと確信できるほどに悲しんでいるのがわかった。 「これから、おまえらは俺の指揮下に入る。問題ないな?」 4人とも、潤んだ目をしっかりと俺に向けて頷く。 国木田たちと敵の戦闘はますます激しくなりつつあった。もはや一刻の猶予もない。 俺は無線機を持った生徒を呼びつけ、ハルヒに連絡する。 「おいハルヒ、聞こえるか?」 『何よキョン! 鶴屋さんたちのところについたなら、早いところ戻ってきなさい! 当然、鶴屋さんたちもつれてね! 30分以内じゃないと罰金――』 「鶴屋さんは死んだ」 俺の言葉でハルヒは絶句した。叫びたいのを必死にこらえるようなうめきと、何と言って良いのかわからないという 不安定な吐息が無線から流れ込んでくる。 「いいかハルヒ。これから俺が言うことに黙って従え。いいな?」 『…………』 「いますぐ、古泉たちをつれて北高に戻れ。俺たちが戻るのを待つ必要はない」 この言葉に激高したのか、ハルヒは砲弾の着弾音以上の声で、 『バ、バカなこと言うんじゃないわよ! いい!? あんたたちが戻るまで死んでもここを死守するから! 絶対に帰ってくるのよ! 絶対絶対絶対よ! 見捨てるなんて絶対にしないから……帰ってきて! 絶対!』 「良いかよく聞けハルヒ!」 俺の怒鳴り口調にびびったのか、錯乱状態だったハルヒの口が止まる。 「冷静に聞けよ。今、俺たちはまた敵に包囲されようとしているんだ。敵の狙いは、植物園に俺たちが戻るのを阻止すること。 今おまえが俺たちを放って学校に戻るなんて、敵は頭の片隅にすらねえはずだ」 『あんたたちはどうするつもりよ! 玉砕なんて死んでも許さないんだからね!』 「俺たちはこのまま北山公園を南下して、光陽園学院前に出る。そして、学校東側から戻る。 安心しろ。絶対に学校に戻るから心配するな」 ハルヒはしばらくぶつぶつと聴き取れない抗議めいたことを言っていたようだが、やがて、 『……わ、わかったわ……絶対に帰ってきなさいよ!』 「当然だ」 話し合いがまとまったので、俺は無線を終了しようとするが、 『待ってキョン!』 ハルヒがなにやら確認したいらしい。しかし、なかなか言い出せないのか、しばらくうなったような声を上げていたが、 『鶴屋さん……鶴屋さんはどうするの……?』 「……俺の口からいわせないでくれよ。すまん」 『……ゴメン』 そこで無線が切られた。おっと一つ言うことを忘れていた。 『……なに? まだなんかあるの?』 悪い知らせと思ったのか、びくびくとした様子が手に取るようにわかった。 「すまないが、朝比奈さんには鶴屋さんのことは言わないでくれるか? 鶴屋さんからの遺言なんだ。 万一、聞かれたときは――あー、足をくじいたから近くの民家で、このばかげた戦争が終わるまで隠れているって言ってくれ」 『了解……』 そこで今度こそ無線終了。さて、 「よし、このまま南下して学校に帰るぞ! ついてこい!」 俺の空元気な声が飛んだ。 ~~その4へ~~
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3年前の7月7日、わたしは彼と出会った。 それから、今年の7月7日まで彼をあずかっている。 それまで、2ヶ月と少し・・・ ページをめくる 無音なこの文芸部室。 彼が来るまで、後2週間。 たった2週間。けれども、2週間も後。 廊下から足音が聞こえる。 徐々にこちらに近づいてくる。 きっと、この文芸部室を通り過ぎる。 そう思う。 ページをめくる 足音が止まった。 ドアが開く。 わたしは、その方向にゆっくりと首を向けた。 そこにいたのは、進化の可能性、 涼宮ハルヒ おかしい。涼宮ハルヒが来るのは2週間後なはず。 わたしは涼宮ハルヒを見た。 涼宮ハルヒも、わたしを見ている。 「仮入部したいんだけど」 涼宮ハルヒは言った。 仮入部?・・・検索開始。 該当項目を発見。 「そう」 わたしは答えた。その言葉だけで充分だと判断した。 顔を本に戻す。 ページをめくる 「あんた確か6組の子よね?体育の授業一緒だから」 「そう」 「あんた名前なんていうの?」 「長門有希」 「他の部員は?」 「部員はわたしだけ」 「へー、じゃああんたが入部しなかったらこの部活、廃部だったんだ」 「そう」 そして、涼宮ハルヒは本棚から本をとりだし、パイプ椅子に座って読み出した。 わたしも読書をつづける。 ページをめくる 「アメンボ アカイナ アイウエオ ウキモニ コエビモ オヨイデル」 隣の部室から声が聞こえる。 必要な情報ではない。削除。 やがて、涼宮ハルヒは落ち着きをなくしだした。 足を揺らす、椅子を揺らす。あくびをする。 なぜそのようなことをするのかは、わたしには分からない。 「あんたよくこんなのずっとしてられるわね。しんどくならない?」 どう答えるべきだろうか? 「大丈夫」 そう答えておく。 「ねえ、あんたのクラスに宇宙人とか未来人とかいたりしない?」 「いない」 ここは、嘘をついておくべき。 そう判断した。 「やっぱり、あたしやめるわ」 「そう」 涼宮ハルヒは鞄を持って、部室を出て行った。 ドアが開きっぱなし。 わたしは、念動力を使い、ドアを閉めようとする。 やめた。 わたしは歩き、ドアを手で閉めた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 涼宮ハルヒが文芸部に仮入部してから、2週間がすぎた。 現在、昼休み。 足音が聞こえる。文芸部室のドアの前で止まる。ドアが勢いよく開く。 「あっ!いたいた!ねえ、この部室貸して!新しい部活作るから!」 「かまわない」 「そう、ありがとう!」 そう言って、涼宮ハルヒは急いぐように部室を出て行った。 ページをめくる 今日、涼宮ハルヒはSOS団を設立する。 けれども、わたしの待機モードはまだつづいている。 彼が来るまで。
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‐せきがえ‐ 谷口「よっしゃ!!一番後ろだぜ!!」 国木田「いーなぁ後ろは授業中寝れるし」 谷口「バカ!!授業中に寝るわけないだろ!!」 国木田「え!?」 谷口「いいか!!一番後ろってのは教室全体を見渡せるんだ!! それは女子も例外ではない!!」 谷口「ブラ透け見ほうだいだぁ―――!!」 阪中「谷口くん今すんごいひんしゅく買ってるのね」 ズ… キョン「なんかみそ汁の食感がぬるぬるしてるんだが…何入ってんだ?」 長門「愛液」 キョン「Σ」 長門「冗談、本当は山芋」 キョン「笑えねぇ」 岡部「今週から夏休みに入るわけだが、無駄な時間を送らず何か目標をもって生活するように!! たとえばハンドボールを(ry」 キョン「って言われるまでもないよな」 ハルヒ「そうよ、予定はビッシリなんだから」 谷口「俺も目標あるぜ!この夏休み中はオナニーのオカズを本一冊に限定する!!」 キョン「ホー」 谷口「この『赤ずきんちゃん』でな!?」 キョンハルヒ「Σ」
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「ねぇキョン?」「ちょっと!聞いてるの?キョン!?」「それでねキョンはね、」「あっ!そうそう、キョンそれからね」「キョンっ!」「そう言えばキョンは…」「キョン明日はね…」「ねぇキョンは?」「ほらキョン!ちゃんと聞きなさい!」 ……まったく飯の時とか2人でテレビ見てる時位は静かにして欲しいな。 孤島の1件からハルヒと付き合う事になってしばらく経つ、授業中も、部活の時も、その後も、休日も、寝る前でさえ電話で、そう…ほぼ丸一日中俺と一緒にいるのに、なんでこいつは話題が尽きないのかね? まるでマシンガンやアサルトライフル…いやガトリングガンやバルカン砲だな…いや弾切れがある分羅列した銃器の方がましだな。こいつの話題は切れないしな。 「なぁハルヒ…何でお前はそんなに話題が尽きないんだ?こんなにずっと一緒に居るのによ。」 「ったく…たまに自分から口を開いたと思ったら…何よそれは?良い?あたし達はNTじゃないから、黙っていても分かり合えないのよ?」 ……そう言えばこの前一緒に某ロボットアニメを見たな… 「それにあたし達は恋人どうしなのよ!?お互いが一番に分かり合ってなきゃだめなの?それ位はアホキョンにでも分かるでしょ?だから、こうやって毎日毎日あたしが話してるのよ!」 なるほどな…でも俺もっと簡単に分かり合える方法知ってるぜ? 俺は無言でハルヒを抱き締めた。 「ちょっと…キョン!?」 ハルヒのヤツは、顔真っ赤にして抗議しながらも、俺に体を預けて大人しく抱き締められている。ったく…こうしてりゃ静かなんだけどな。 「……分かったわよ…じゃあこれからは、いつでも分かり合える様にこうして抱き締めなさい…良いわね……」 真っ赤にしてゴニョゴニョ言うハルヒは可愛いが……墓穴ほったなこりゃ… 終わり
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この国において、春は別れと出会いの季節であることは、現在ではあくまで年度区分の都合上のことであって、取り立てて浪漫的又は叙情的な特別の理由があるわけではない。 それでもこの季節になると、各地で別れと出会いが生まれ、その数だけ涙と笑顔が生まれることは事実である。 そんな数多くの涙の一つが、このごくありふれた地方都市に所在する県立高等学校でも生まれようとしていた。麗らかな春の日差しに照らされて、制服に身を包んだ若者達が集まっている。 県立北高等学校卒業式。 若者達を新天地へ送り出す儀式が始まろうとしていた。もっとも、中には新天地ではない場所へ向かう者も含まれていたが。 「なんか信じられないわね。みくるちゃんがいなくなっちゃうなんて」 今やこの北高で、知らなければモグリとまで言われるほど有名な存在となった、SOS団団長・涼宮ハルヒ。彼女は「これも団長の務め」と、団員・朝比奈みくるを卒業式後、部室に呼び出していた。 「そうですね……涼宮さんに出会ってからの日々は、あっという間に過ぎてしまいました。何だか、涼宮さんに連れられてこの部室に初めて来た日のことが、ついこの間のことみたいに感じます」 みくるは、窓に向かって遠い目をしているハルヒに、肩越しに答えた。 「あれから、もう2年近く経ったんですねえ……」 みくるはここに来るまでに、友人との語らいに笑い、男子在校生一同の男泣き混じりのエールに苦笑し、ハルヒ以外のSOS団員から送られた祝福の言葉に涙していた。 ハルヒを除くSOS団員は、皆みくるの正体を知っている。そして、この後帰る場所も。 朝比奈みくる――未来から来た観測員。その行く先は、元居た未来。彼女を送り出した彼らとは、ここで最後の別れとなる。 この時間平面の光景も、これで見納め――同じく窓の外を遠い目で見ながら感慨にふけるみくるに、振り返ったハルヒが近付く。 「このでっかい胸も、もう揉み納めかぁ」 つんつん 「あひぃん、やめてください~」 ハルヒの指は、的確にみくるの乳首をつついていた。みくるは一気に現実の世界に引き戻された。 「この胸を独り占めできなくなるのかと思うと、寂しいわ」 「そんなぁ、あたしは胸だけの女なんですか?」 身をよじってハルヒの攻撃から胸を隠すみくるを、ハルヒは微妙な視線で見つめた。 「…………」 「そ、その沈黙は何ですか……? ひ、ひどい! あたしのこと、そんな風に見てたんですね!?」 みくるの抗議にハルヒは答えず、無言でみくるに抱き付いた。その肩は震えている。 「え、あの、涼宮さん?」 「……やっぱり、無理」 「へ?」 「みくるちゃんを笑顔で見送るなんてできない」 ハルヒは涙声になって言った。 「……もう二度と、みくるちゃんには会えないんでしょ?」 みくるは驚愕した。 「な、何でそんなことを!?」 「卒業後の進路は外国の大学ってなってるじゃない」 「そ、そりゃ、確かにそうですけど、だからって二度と会えないってわけじゃ……」 「行き先はカナダってことになってるけど、ほんとはもっとずっと遠いとこ行くんでしょ」 「え、う、あう……」 みくるは、表向きはカナダの大学に進学することになっているが、それは偽装であって、フェードアウトするように消息を絶ち、未来へ帰る算段になっていた。 「…………」 ハルヒは無言でみくるの瞳を見つめていた。 「や、でも、ほら、ちゃんと手紙とか送りますし、その、たまには帰国したりとか……」 「『この』みくるちゃんには、もう会えないんでしょ? 会えるのは、『もっと未来の』みくるちゃんじゃないの?」 「!?」 みくるは硬直した。 「え、あの……それってどういう……?」 「…………」 激しく狼狽するみくるをじっと見つめるハルヒ。その表情が悲しげなものに変わった。 「……だめねえ、みくるちゃん。やっぱり否定しなかった」 「……え!?」 「たまに帰国した時って言ったら、つまりは、今より未来でしょ? ということは、その時に会えるのは、今より未来のみくるちゃんになるのは当たり前じゃない」 「……あ。」 「そんな当たり前の問いなのに、そのうろたえよう。つまり、二度と会えないことは本当で、しかも、どうやらそれは『未来』に関係することらしいってことが、今の態度で明らかになったということよ」 「あ、あ、あ……」 みくるは後ずさりした。 「す、す、涼宮さん……あなた、一体どこまで知って……?」 ハルヒは真っ直ぐにみくるの瞳を見据えて言った。 「『禁則事項』よ」 「!?」 みくるは腰を抜かしてその場にへたり込んだ。驚愕のあまり、声を出すことさえままならない。ハルヒは、そんなみくるを悲しげな表情で見下ろした。 「……その反応を見る限り、どうやら当たらずとも遠からず、って域を超えてるようね」 ハルヒは、声も出せずに目を白黒させてただ口をぱくぱくさせているみくるに歩み寄ると、跪いて抱きついた。 「あたし、待ってるから」 静かに、しかしはっきりと言った。 「みくるちゃんがこの部室を出た後も、ここでずっと待ってるから」 みくるを抱くハルヒの力が強くなった。 「いつか必ず会いに来て」 みくるはどう答えて良いか分からなかった。ハルヒの真意を量りかねる。 ハルヒは一度みくるを離すと、みくるの瞳を見つめて言った。 「『また、部室で』。いつか必ず。また会いましょう」 そこまで言うと、ハルヒは立ち上がり、みくるに背を向けて団長席近くの窓辺に向かった。 「さよなら、みくるちゃん」 その背中に何も言えなくて、みくるは、ただ「お元気で」と言い残し、部室を後にするしかなかった。 念のため未来に問い合わせてみたものの、やはり指示は変わっていなかった。当初の予定通り、朝比奈みくるはこの時間平面を辞し、本来の時間平面に帰還することが決まっていた。 「さよなら、涼宮さん……」 ハルヒをずっと待たせることになる事実に罪悪感を感じながらも、みくるは帰途につくしかなかった。自分の『本当の』居場所に帰るために。 「皆さん、お元気で……」 いつの時代も、別れは寂しい。ましてそれが、二度と会えない別れなら尚更。 人気のない廊下は、自分の足音がよく聞こえる。歩調が乱れれば、すぐに分かる。今の自分は、一定の速度で歩いていると思う。早過ぎず、遅過ぎず。強過ぎず、弱過ぎず。足音からは、何の意図も個性も感じられないと思う。そのように訓練してきた。 ドアの上を見上げる。元から付いている表示板の下に、手書きの紙が貼り付けてある。 『文芸部』『SOS団』 ノックはしなかった。室内には一人だけ。 その人は、机の上に胡坐をかいて窓の外を見ていた。 「……余り待たせてはいないつもりだけど、待たせちゃったかな?」 待ち合わせの第一声としては、及第点であれば良いと思う。 「……そんなには待たされてないわ」 その人は窓の外を見たまま答えた。わたしはその人に近付く。 「振り返らないわよ」 足が止まる。 「……泣き顔を見られたくないんだったら、窓に映ってよく見えるけど?」 その人は涙を指で拭った。 「……あたしに見られたら、色々とまずいんじゃないの? 『朝比奈さん』」 思わず額に手を当てる。 「参ったなぁ……どこまで知ってるのかしら、あなたは」 「『禁則事項です』」 苦笑するしかなかった。 「よく考えたら、その台詞、あなたに言ったことない気がするのよね。どこで知ったのかしら」 その人に近付く。 「想像に任せるわ」 後ろから抱きしめた。 「あなたにはどんな隠し事も無駄なことかな、やっぱり」 その人は、前に回したわたしの手に、自分の手を重ねてきた。 「だから、素直に言います。涼宮さん。ずっと会いたかった」 あの時は、彼女に触れられることは幾度もあったが、わたしから彼女に触れることはどれだけあっただろう。 「今のみくるちゃん、いや、『朝比奈さん』は、さぞ立派になったんでしょうね」 『朝比奈さん』。あの時は、彼女からそう呼ばれたことは一度もなかった。 「どうぞ、『みくるちゃん』と呼んでください。あなたが遥か上の先輩であることに、変わりはないんですから」 「……良いの? そこまで言って」 「隠しても無駄なことを敢えて隠し通そうとは思いません」 「あんたがそう言うんなら、別に気にしないことにするわ」 さして気にした風ではない声で、彼女はそう言った。 「『わたし』にとっては、随分懐かしい人ですけど、涼宮さんにとっては、『わたし』は……」 「あたしのことは、名前で呼んで」 「え? でも……」 「あたしも名前で呼ぶからさ」 名前で、か。もしそれが本当に叶うならば、とてもうれしい。 「……分かりました」 「あ、でも待って」 「?」 「よく考えたら、あたしは知らないじゃない、名前」 「え、だから『みくるちゃん』と……」 「違う、そっちじゃなくて。『本当の名前』よ」 「あ……!」 彼女は勝ち誇った声で言った。 「はっはーん。その反応を見ると、やっぱり偽名だったみたいね」 「! ……あ、えと……」 「まあ、ほぼ確信してたけど、やっぱり本人から証言を引き出さないとね」 「やっぱり敵わないなあ……」 頬を掻くしかない。 「というわけで、白状しちゃいなさい! 本名!」 溜め息を一つ吐く。 「……隠し通すのは無理みたいですね。分かりました。わたしの本当の名前は――」 この時間平面の人間に、初めて正しい名前を名乗った。ついでに本当の年齢も。 「ふーん。そういう名前なんだ。あと、年齢はノーコメントよ」 『名前なんか記号に過ぎない』という人もいるけれど、それは違うのだと思う。 頬と頬が密着するくらいすぐそばにいるのに、お互いに直接顔は見ないで、窓に映る表情を見ている。片や初対面。片や久しぶりの再会。触れる肌と肌の間に、文字通り時空を隔てる壁がある。そんなぎこちない二人の関係。 それが本当の名前を名乗っただけで、こんなにも距離が近く感じられる。ましてや本当の名前で呼ばれたら。 「じゃあ、まずはあんたから名前で呼んでよね」 「はい」 太古から、人は『名前』に特別な意味を見出してきた。それは呪術がまかり通っていた、無知と迷信の時代の風習、と切り捨てることはできない。なぜなら、その当時も、わたしが暮らす本来の時間平面でも、人間の構造そのものは変わっていないから。太古の人も、わたしも、同じように、喜びに沸き、怒りに震え、哀しみに涙し、楽しさに笑う。人間は何も変わっていない。 わたしは万感の思いを込めてこう呼ぶ。『涼宮さん』ではない、この名前を。 「ハルヒ……」 言った。ついに言えた。わたしが彼女と過ごしていた時には、決して口にすることができなかった名前を言えた。 そして、次はわたし。彼女と過ごしていた時には、決して呼ばれることがなかった、呼ばれるはずがなかった名前で、呼ばれる。 「じゃあ――」 落ち着け、わたし。『心臓が口から飛び出そうな』という形容詞がぴったりなくらい、わたしの鼓動が高鳴っている。 「行くわよ――」 落ち着け。次に彼女の口から出る言葉を聞き逃すな。彼女の口が開く。 「――みくるちゃん!」 「って、あら? そこまでオーバーリアクションしなくても……」 わたしはずりずりと彼女の体をガイドに滑り、床に突っ伏していた。 ひどい。ひどすぎる。あんまりだ。わたしの、この極限まで高まった期待をどうしてくれるの。 「ごっめーん。まさかそこまで全力で落胆するほど重大なことだとは思わなかったわ」 彼女はかんらかんらと、実に良い顔で笑っている。 「大人になってもやっぱりかわいいから、ちょっとからかってみたくなってさ」 本当に彼女は昔と変わっていない、と思って、わたしは今、その『昔』に来ていることを思い出した。今目の前にいる彼女は、その当時の彼女なのだ。変わっていようはずがない。変わっているとすれば、むしろわたしの方。 「よっ、と」 わたしは彼女に少々乱暴に引き起こされた。 拗ねて顔を伏せていると、顎に手を添えられ、ぐいっと正面を向かされる。ほぼ同じ高さにある、彼女の顔が間近にあった。 「そんなに拗ねないでよ、――」 わたしは不意に真顔になった彼女に本当の名前で呼ばれ、同時に強く抱き締められた。 「ん……」 急展開に次ぐ急展開に付いていけず、わたしの意識は朦朧とし始めている。そこに止めが刺された。 「あなたに『も』、会いたかった。すべてを知っている『あなた』に」 彼女に真顔で囁かれた。彼女は知っていた。わたしのことを、ずっと前から。 「ずっと、会いたかった……」 彼女の言葉に、わたしの腰は砕け散った。
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第二章 断絶 週のあけた月曜日。あたしは不機嫌オーラをばらまきながら登校した。 半径5メートル以内に人がいないのがわかる。 教室に入り、誰も座っていない前の席を睨む。 二年生になっても変わらないこの位置関係に怒りを覚えたのは初めてだ。 あいつを見ていなければいけないなんて。 幸いなことに今日は席替えがある。 入学してからずっと続いていた偶然が途切れることを祈った。 遅刻ギリギリにあいつが教室に入ってくる。 席に鞄をおろして声をかけてくる。 「土曜日はすまなかった」 無視。 「今度からはちゃんと行くからさ」 無視。 「……?おーい」 無視。 ため息をつくとキョンは前を向き、岡部が入って来た。 授業中はイライラしっぱなしでろくに話も聞いていなかったけど 学校の授業なんて余裕よ、余裕。 こんなのもわからないなんて本当にキョンはバカよね。 待ちに待った席替え。 あたしは窓際一番後ろ。 キョンは廊下側一番前。 教室はパニック寸前だった。 ……この程度のことで騒がないでよ。 キョンを谷口のバカと国木田が慰めている。キョンは憮然と、と言うか唖然としている。 キョンは鞄を持つと教室をでた。 掃除を終わらせ我がSOS団部室へ向かう。 扉を開けるとそこには古泉君と有希とみくるちゃんと…… キョンがいた。 あたしの我慢は限界に近づいている。 あたしたちに嘘ついてまでデートしてたやつがのうのうと 『あたしたち』といようとする。 「キョン」 「何だ?」 普段と全く変わらない様子についに切れた。 「なんでここにいるの」 「いちゃ悪いのか?」 「ここはSOS団の部室よ」 「それが?」 「あたしたちに嘘ついて、SOS団の用事を放って、デートしたやつに ここにいる資格はないわ」 怪訝な顔をするキョン。 「ちょっと、ま……」 もうこれ以上聞きたくない。 『『出てけ!』』 ”四重奏”とともに古泉君につかみあげられて廊下に引っ張られるキョン。 ほかの四人も我慢の限界だったみたい。 「おい、ちょっと待てって。話を……」 鈍い音がしてキョンが黙る。 やけにニコヤかな古泉君が部室に入って鍵を閉めた。 改めて部室内を見渡すとみんなの怒り具合がわかる。 古泉君はボードゲームを出してなかったし、 湯のみも有希と古泉君の分しか出てない。 「はい、みんな注目!邪魔者も出てったところで次回の不思議探索について ミーティングを行います」 ここでいったん間。 「今度の土曜日十時に街に集合よ。遅れたら、罰金だから!」 空気が一瞬重くなる。 「罰金=キョン」の方程式が成り立っているみたいだ。 「そうですね。そっちの方がいいでしょう」 古泉君がいつものように朗らかに同意する。 「はい、お茶です」 それから他愛もない談笑で時が過ぎ、有希が本を閉じてあたしたちは下校する。 そのときあたしは廊下にあるものを見つけた。 「ねえ、古泉君」 「何でしょう?」 笑って答えながら、古泉君もあたしと同じ場所を見ている。 「どのくらい強くあいつを殴ったの?」 転々と跡を残しているそれは……。 「見た通りだと思いますよ」 そう、それは血だった。 <幕間2> 朝、学校についてハルヒに土曜日のことについて謝ったが無視された。 悪いことしたな、とは思ったけどここまでひどい扱いを受けるとは。 そのことに少なからずへこんでいて、授業には全く身が入らん。 わかんねえ……、ってつぶやいたら後ろのハルヒに鼻で笑われたような気がする。 俺が何をしたってんだ。 席替えがあった。どうせハルヒの前だろうって思ってたんだが 何が起きたのか、一番遠いところに座るはめになった。 ……ざわざわしすぎだお前ら。 偶然だろ、席替えなんて。 国木田と谷口がどうやら慰めてくれてるらしいがそんなことは気にならなかった。 とりあえず部室に行ってほかのやつらに話でも聞こうか。 と思ったんだが、みんなの反応がなんか――というか、ものすごく――よそよそしい。 古泉はボードゲームを誘ってこないし、朝比奈さんは俺にお茶を入れてくれない。 長門に至っては怒りの視線をぶつけてくる。 ……はげるって。ストレスで。 しばらくして掃除当番だったハルヒが入って来た。 こっちを見てものすごく不快そうな顔をする。 そして訳の分からん難癖を付けてきやがった。 「ここはSOS団の部室よ」 ってそれくらい知ってるさ。なんで俺がいちゃいけないんだ? ……。 土曜日?デート? ああ、『あれ』か。『あれ』を見られてたのか。 そりゃ、事情を知らなきゃ怒るだろうな。 とりあえず説明しようと口を開いた俺を……。 古泉がつかんで廊下に投げ飛ばしていた。 長門にまで「出てけ」って言われたのは正直きつい。 もう一度説明しようとした俺を古泉が思いっきり殴る。 壁に頭をぶつけて意識が遠ざかる。 気づくと部室内では次の土曜日のことを話していた。 こうなったら最終手段かな。 痛む頭を抑えて俺は学校を後にした。 終章
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言わせて貰うなら、セックスなんてのは単なる行為のひとつに過ぎない。少なくともあたしはそう思ってる。 愛情がなくったって出来るし、何の証明にもならない。セックスしたから彼はわたしの物♪なんて、おかちめんこな考え方は噴飯物だ。一時の気の迷いで、そうひょいひょいと人の所有権を移動させないでほしい。 結局その考えは、あたしこと涼宮ハルヒが実際にセックスを経験した後も、特に変わる事はなかった。だからやっぱり、セックスなんてただの行為なのだ。 「おっそーい! キョンの奴!」 一年を4分割するのなら9月は秋に分配されて然るべきはずなのに、その日は朝から猛烈に暑かった。残暑なんてものは馬の尻尾にくくりつけて、そのまま蹴っ飛ばしてしまいたい。 実際にはくくりつける事も蹴っ飛ばす事も出来ないので、あたしは腕組みをして駅前広場の時計を睨みながら、ひたすら不機嫌な声を張り上げていた。 「ホントにもーっ、何やってんのよ!」 「まあまあ涼宮さん。まだ待ち合わせ時刻から10分ほどしか経っていませんし」 「他のみんなはもう集まってるでしょ!? せっかくSOS団の末席に加えてあげてるっていうのに、団員としての自覚が足らないわ! だいたいね? 下っぱのキョンが団長であるこのあたしを待たせるだなんて、まったくの論外よ! ロンのガイよ!」 あたしの怒声に、古泉くんは参りましたねと肩をすくめるばかりだった。あー、何か違う。やっぱり古泉くんが相手だと何かこう、しっくり来ない。これはもう今日は徹底的にキョンの奴を吊るし上げなけりゃだわ! 「うス。すまん、遅れた」 噂をすれば何とやらね。しょぼい顔してやってきたキョンを、あたしは出来うる限りの厳しい眼光で迎えてやったわ。 さー、どうとっちめてやろうかしら。明らかに寝不足っぽい顔しちゃって、どうせまたつまんない理由で夜更かしでもしてたのよきっと。 「理由…言わなきゃダメか?」 「当ったり前でしょ! あんた一人のせいで、あたし達がどれだけ迷惑したと思ってんの!」 「あのぅ、涼宮さん…わたしはそれほど迷惑とは…」 「みくるちゃんは黙ってて!」 「ひゃ、ひゃいっ!」 「これは団の規律の問題なのよ。さあ、ちゃっちゃと吐きなさい、キョン!」 ゲームか漫画か、それとも深夜映画にでもハマってたのか。わくわく気分で問い詰めるあたしに、キョンはむっつりした顔で、こう答えた。 「昨日、中学の同級生だった奴の葬式に行ってきたんだよ」 「そうですか、海難事故で」 「ああ。夜釣りの最中に高波にさらわれて、朝、浜に打ち上げられた時にはもう冷たくなってたとか。人間なんて本当、はかないもんさ」 古泉くんに素っ気なく応じると、キョンはずちゅーとアイスコーヒーをすすり上げた。事故の件を話すのがつらいというより、喫茶店に移ってきてまでこんな暗い話題で雰囲気を盛り下げたくない、といった感じだ。 まあ確かに、日曜の朝に聞きたい類の話じゃない。正直、気分が滅入る。ああ、だからキョンはさっき言いたくなさそうにしてたのか。…って事はなに? 今のしんみりした空気って、ムリヤリ聞き出したあたしのせい? 「でも、キョン! そもそも昨日の時点で用事がお葬式だってこと、なんであたしに言わなかったのよ!?」 なんだか責任転嫁のような感じで、あたしは話を蒸し返していた。そう、本来は昨日の土曜日に定期パトロールが行われる予定だったのに、直前になってキョンが用事があると言いだしたから、一日ずらしてみんな集まっているのだ。 でもってキョンの奴は、あたしが訊いても口をもごもごさせて、何の用事かははっきりと言わなかった。今朝からあたしの気分が優れなかったのも、半分くらいはそーゆーキョンのぐだぐだした態度にイラついてたせいだ。結論、うんやっぱりキョンが悪い! 「最初は、葬式に出る気なかったんだよ。つい直前までな」 あっさりと、キョンはそう白状した。…おかしい、どうも今日は調子が狂う。 いつものキョンなら吊るし上げをくらっても、なんだかんだとあたしに抵抗しようとするのに。その往生際の悪さが見てて楽しいのに。 「1、2年の時に同じクラスだったってだけの奴で、すごく仲が良かったわけでもなかったし。高校も結局、別の所に行っちまったしな。 俺が行って手を合わせた所で、奴が生き返るはずもなし。でも国木田の奴に、焼香くらいは、って誘われてね」 国木田か。なるほど、付き合いのいい方ではあるわね。でも、ちょっと待って? 特に仲が良かったわけじゃあない? 見回せばあたし同様、キョン以外のみんなが頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた(有希はパッと見、そうとは分からないけど)。それならどうして、寝不足になるくらい思いつめたりすんのよ。 「別に今生の別れに一晩中泣き明かしたりしたわけじゃねえよ。ただ、なんて言うかな…。 葬式のあとで、国木田が言ったんだ。なんだか全然、現実味がないねって」 まるでそういう風に話すよう造られた自動人形みたいに、キョンは淡々と語っていた。 「家に帰ってから俺、卒業アルバムを開いてみたんだ。そしたら確かに、一緒の頃の思い出の方が生々しくって、あいつが死んじまったって現実の方が絵空事みたいな感じなんだよ。 でもやっぱり、あいつが居ないこの世界の方が現実で」 ふう、とキョンがひとつ息を吐くと、微かにコーヒーの匂いが漂った。 「実は俺、ほんのしばらく前にそいつと話してるんだよな。下校途中にサンダル履きのあいつと、ばったり出くわしてさ。そのままコンビニの前で30分ばかりくっちゃべってた」 「その人、何か特別な事でも言ってたの?」 「いや、全然。今じゃ内容さえ憶えてないような、そんな程度の会話だった。 でもそれは、あいつとは逢おうと思えばいつでも逢える、話そうと思えばいくらでも話せる、そう思ってたからで。それが気が付いたら、そうじゃなくなってて――。何だろうな、こういう感じ。心にぽっかり穴が空いた、とでも言うのか?」 「ふん、ボキャブラリーが貧困ね」 わざときつく揶揄してやったのに、あいつはムッとした表情さえ見せなかった。やっぱり変だ。やっぱり今日のキョンは、何かおかしい。 「そりゃ失敬。じゃあ教えてくれよ、こういう気分ってなんて表現するべきなんだ?」 「何って、それは…」 「………虚無感」 「おお、さすが長門。ん、まあそんな感じだな」 有希に向かって大きく頷くキョンの顔を、あたしはストローの先のクリームソーダを最大肺活量で吸い上げつつ、仏頂面で眺めていた。 キョム感ね、キョンだけに。…いろんな意味で面白くない駄ジャレだわ。 「そのぅ、えっと…元気出してくださいね、キョンくん…」 「おお、この俺の身をそんなに心配してくれますか! いやあ、朝比奈さんは本当に心優しいお人だなあ」 今のキョンはみくるちゃんの掛けた言葉に、やけに愛想良く受け答えてる。みくるちゃん相手にはやたら調子がいいのはいつもの事だけど…今日はなんだか特に造り物みたいな笑顔ね。無性にはたきたくなるわ。 そんな風に思っていると、キョンの奴は不意にこちらを向いた。 「ま、そんな事がありましたよって事で。人間なんて明日どうなってるか分からないから、みんなもせめて事故とかには気をつけろよな。特にハルヒ」 ちょ!? なんであたしだけ名指しなのよ! 「お前が直情径行の向こう見ずで、後先考えずに動くからだ。 さて、それじゃ不思議探索パトロールに出掛けますかね、と。今日はもう俺の罰金で確定なんだろ?」 恒例のクジ引きで同班になったみくるちゃんをいざなって、キョンは伝票をひらひらさせながら会計へと向かった。 むー。つまんない。あたしは『キョンに罰金を払わせるのが』ではなく、『罰金を払わされる時のキョンの情けない顔が』楽しいのに。つまんないつまんない! 「どうかしましたか、涼宮さん?」 よっぽどあたしはむくれていたのだろうか。喫茶店を出るなり、古泉くんがそう声を掛けてきた。 「ねえ有希、古泉くん。今日のキョン、なんかおかしいわよね?」 遠回しな物言いは好きじゃない。あたしがズバリ訊ねると、古泉くんと有希はしばらく顔を見合わせて、それから二人揃って頷いた。古泉くんはともかく、有希も肯定しているからにはやっぱりそうなのだ。 「そうですね、これはまあ概念的な事柄なのですが。 人は大なり小なり、明日への不安を胸に抱いているものです。もしかしたら大地震が起こるかもしれないし、空から隕石が降ってくるかもしれない。はたまた、悪意を持った異星人が大挙して地球を侵略しに来たりするかも…」 いきなりそんな事を語り始めたかと思うと、古泉くんはしばし、あたしと有希の顔をちらちらと見比べた。今の間は何なんだろう、一体。 「…とまで言ってしまうと、さすがに何でもありになってしまいますが。不慮の交通事故などは、誰の身にだって起こり得るわけです。 さて、そんな時。たとえば明日死ぬかもしれないという時に、やりたくもない宿題をやる気になる人が居ますか? いえ、それどころか自分にとっての宝物さえ、もしも明日無になるとしたら、途端に色褪せて見えるのではありませんか?」 「えっ? でもだって、そんなのは…」 「はい、その通りです。予測できない不幸、というのは可能性としてはあり得るのですが、それを気に病みすぎていては何も出来ません。 だから人は基本的に、その可能性を無視しています。もしくは保険に加入するなどの次善策を用意するか、ですね。しかしながら“死”というのは、人が逃れえない宿命のひとつでして…」 と、ここで一度言葉を止めた古泉くんは、ああまたやってしまったとでも言いたげな微苦笑で頭を振った。まあ、古泉くんのセリフが芝居がかってるのはいつもの事だけど。 「結論を述べましょう。今の彼は、軽い躁鬱病の状態にあると思われます。 ご友人のように、自分も明日にはいなくなっているかもしれない。ならば自分の生に一体何の意味があるのか――そんな問答に囚われてまんじりともできないでいる、といった所でしょうか」 「有希の言ってた、虚無感って奴?」 「おそらくは。実を言えば僕自身、まだ同年代の人間の死に直面した経験はないもので、先程の彼のお話には、多少なりともショックを受けました。もしかしたら『大人になる』というのは、こうしたショックに慣れていく事なのかもしれませんね」 ショックだった割には、いつもと同じ笑顔で話してる気がするけど。そうね、古泉くんが言いたい事はだいたい分かるわ。 でも、だったらあたしは敢えて大人になんかなりたくないかな。親とか身近な人を失くす悲しみに慣れるだなんて、そんな事は………え? 失くす? 誰を? その時のあたしは、どんな顔をしていただろうか。ともかく、気付けばこんな言葉があたしの口をついて出ていた。 「あのさ、有希、古泉くん。ちょっと話があるんだけど」 「はあ、午後の調査を彼と二人で」 「…………」 その、別にヘンな意味じゃないのよ? ただキョンの奴のスッポ抜けぶりが見るに見かねるというか、ほら、団長の責務として…! 「素晴らしい。さすがは涼宮さんだ」 「へ?」 「僕達も彼の不調が気にかかってはいたのです。しかしながら、いかんせんどうやって励ましたら良いものか、妙案が浮かばないものでして。 ですが、団長自らがケアをなさってくださるというのなら、もう安心ですね。どうぞ彼の事をよろしくお願いします、涼宮さん」 ま、任せときなさい! 団員の心の悩みを受け止めてあげるのも団長の務め! 一切合財あたしに預ければ、全てこれ解決よ! と、あたしがガゼン張り切っていると。 「ふむ、ですがそうするには…長門さん、ちょっといいですか?」 古泉くんが有希を道端に連れてって、ひそひそ相談を始めた。ん? この光景、なんとなく前にも見たような覚えがあるんだけど。市民野球大会の時だっけ? それともデジャビュって奴かしら。 「お待たせしました。では、午後のクジ引きは長門さんにお願いする事にいたしましょう。実は彼女、少々手品の心得があるそうで」 「へえ、それ初耳。有希、本当に出来るの?」 「………可能」 「公平公正なゲームを愛する僕としては、こういうインチキはあまり推奨したくはないのですが。 しかしながら彼はある意味、涼宮さんの対極というか、石橋を叩いて渡らないような、非常にアマノジャクな性格の持ち主ですからね。変なお膳立てをしてしまうと、かえって反発しかねません。ここはあくまで偶然を装うとしましょう」 古泉くんの言に、あたしは大きく頷いた。まったく、キョンの奴があたしのナイスなアイデアに、素直に賛同した事など一度もない。いつもつまらない常識論を持ち出して、あたしの発展的行動に難癖を付けたがるのだあいつは。 あんたみたいな奴の事を、これだけ気に掛けてあげるのはあたし達くらいのものよ? 友に恵まれた事をせいぜい感謝なさい、キョン! 「素直じゃない、という点ではどっちもどっちというか、お似合いなんですけどね」 「何か言った、古泉くん?」 「いえ、別に何も」 「ふうん? まあいいわ。今回はウソも方便って事で、有希、お願いね」 あたしの依頼に、有希は黙って頷いた。沈黙は金だとかいうけど、本当にいざという時には頼りになる娘だ。キョンの数千倍は役に立つわね。 って頷いた後も有希はしばらく、深遠の瞳であたしを見続けていた。ん、なに? 「彼の言っていたのはある面での、真理」 彼って、キョンのこと? 「そう。価値観は主に相対性によって生ずる。最初から何も無かった状態に比して、あるはずだったものをなくしてしまった際の喪失感は、絶大」 「あんたにも、そんな経験あるわけ?」 「11日前、帰宅すると作り置きのカレーが、全て痛んでいた。その日はお茶だけ飲んで過ごした。カレーに黙祷を捧げた…」 「そ、そう」 カレーと人命を同列に語っちゃうのもどうかしら。ああ、でも自炊してる人にとっては食料問題は死活ラインなのか。よく分かんないけど。 「決まりですね。では、我々も出発しましょうか」 「あ、うん、そうね」 なんだか分からない内に古泉くんに促されて、あたし達もまた午前のパトロールに出立した。うーむ、やっぱりどうにも調子が狂ってるぽい。いつもなら当然のように、このあたしが号令を掛けているはずなのに。 結局、午前の部はただひたすら暑い中を歩き回るだけに終始した。不思議を探すより何より、あたしの心には踏んづけたガムみたいに、さっきの有希のセリフがべたりとこびり付いていたのだ。 『彼の言っていたのはある面での、真理』 あるはずだったものを失くしてしまって、心にぽっかり穴が空いたようだ、とキョンは言っていた。有希はそれを真理だと言う。古泉くんは、人は大なり小なり、明日への不安を胸に抱いているものだと言っていた。 そうだ、今のあたしも多分、何かしらの不安を抱えている。でも、それは…一体なんだろう? あたしは何を失くす事を恐れてるの? そんな疑念が、歩くたびに靴底で耳障りな音を立てている、ような気がした。 「珍しいな、この組み合わせってのも」 「あー、うん、そうかも、ね」 キョンの何気ない呟きに、午後のあたしはちょっとばかり居心地の悪い気分で頷いていた。本当の事を知ったら怒るかな、キョン。 「つか、古泉の野郎が羨ましい」 前言撤回。このバカ相手に、罪悪感など微塵も感じてやる必要なんか無い。あたしは渾身の力でキョンの尻をつねり上げてやった。 「神聖なSOS団の活動を一体何だと思ってんのあんたは!」 「うぐあっ!? い、いやスマン、冗談だ…」 だいたい古泉くんは、午前もあたしと有希で両手に花だったでしょうが!? どうしてあの時は羨ましがらないで今は………あ、いや。いやいや。 あ、あたしが怒ってるのはそんな事なんかじゃないわ! そう、キョンの奴がここでもやっぱり素直に謝ってるからよ! だから、調子が狂うって言ってるでしょ! いや言ってないけど! いつものあんたなら、もっとこう…その、歯応えがあるっていうか…そこいらのくだらない男連中とはちょっとは何かが違うっていうか…。 「どうしたんだ、ハルヒ? どこに向かうんだか、さっさと決めてくれよ」 こここ、この鈍感男めぇ! 人がこんなに気を揉んでやってるのも知らないでッ! あたしはよっぽど、公園の砂場を掘り返してこの唐変木を頭から埋めてやろうかと思ったけど、今世紀最大の自制心を働かせて、なんとかそれを堪えた。いけないいけない。古泉くんの言によれば、キョンの奴は今、ちょっとばかり精神を病んでいるのだ。団長として大目に見てやらなければだわ。 ――治ったら覚悟しなさいよね、このバカキョン! 「いいからっ! あんたは黙ってあたしについてきなさい!」 「へーへー、団長様の仰せのままに」 とりあえず、そういう事にして歩き始めたけど…はてさて、これから一体どうしたらいいもんだか? 実の所あたしは、本当に有希の手品とやらがうまく行くのかなーとか、行ったら行ったでキョンの奴、あたしとペアの組み合わせをどう思うのかなーとか、そんな事ばかりを考えてたもんだから。具体的にどうやってキョンを元気づけたげようとか、全く考えてなかったのよ! うそ、どうしよう。まるで小堺一機のお昼の番組にいきなりむりやり出演させられて、サイコロ振らされたような気分だわ。何が出るかな♪何が出るかな♪ ちょっとドキッとした話、略して「ちょドばーなー」って、だから何も用意してないんだってばっ! 『団長自らがケアをなさってくださるというのなら、もう安心ですね。どうぞ彼の事をよろしくお願いします』 プレッシャーが具現化したのか、さっきの古泉くんのセリフが耳にこだまする。あたしは空の彼方に浮かんだあの爽やか笑顔に、無言のパンチを打ち込んだ。 『おやおやひどいですねフフフ』 ええい、回想なんだからさっさと消えなさい! 「おい、どうしたんだハルヒ。道端でいきなり拳振り回したりして…?」 「虫よ! 虫がいたのニヤケ虫が!」 語気も荒く振り返って…あたしはキョンの背後の壁に、ふと一枚の看板を発見した。 (あ、やだ…。やみくもに歩き回ってたら、こんな方向に…) 途端、あたしの頬が熱を帯びる。そこは駅の裏手辺りにありがちな一画で、男女がペアで歩いてたりしたら、いわれのない誤解を受ける可能性が非常に高い場所というか何というか…。あーっ、もう! ハッキリ言ったげるわ! あたしにはやましい点なんかこれっぽっちも無いし! ホテル街よホテル街! そこはいわゆるホテル街だったのよ! 「おい、ハルヒ」 その時、いきなりキョンに声を掛けられて、あたしは背中をぴきぴきっと引きつらせてしまった。な、ななな、何よ!? あんたまさか、ヘンな勘違いしてるんじゃないでしょうね! あ、あたしは別にそんなつもりで、こんな所にあんたを連れてきたわけじゃ…。 「実は今、朝見たテレビの占いコーナーを思い出したんだけどな。今日の風水じゃ、こっちの方角は俺にとって猛烈に運勢が悪いらしいんだ、これが」 「え、そ、そうなの?」 「できれば別方向に探索に行きたいんだが。ダメか?」 「そういう事なら、し、仕方ないわね。じゃあ…」 表面上は不服そうな顔をしてたけど、本音を言えばキョンの言葉は渡りに船で、あたしはそそくさとこの場を離れ―― ――ようとして、はた、と疑問の壁にぶち当たった。ちょっと。ちょっと待ちなさいよ、キョン。あんた、今朝はあんなやつれた顔で遅刻してきたんじゃない。朝の占いなんか見てる余裕あったわけ? そもそも、あんたってば占いとかそういう類は否定はしないけど肯定もしないってタイプだったでしょうが。まさか、あんた…。 気が付けば、あたしは奥歯を軋むくらいに噛みしめていた。くやしい、くやしいくやしい! 今は、あたしがキョンの事を気遣ってやらなきゃならないはずなのに…! それなのに、どうしてあたしがキョンに気遣われてるのよ!? 北高に入学したばかりの頃、つまらないつまらないと窓の外ばかり眺めてたあたしに、キョンは何やかやと話しかけてくれた。頬杖をついてふてくされた表情のままだったけど、あたしは内心、それがとても嬉しかった。 だから、だから今日は、あたしの番だと思ったのに…あたしはすごく張り切ってたのに! 実際にはあたしには何の手立ても無くて、逆にキョンに気遣われてる。あたしの尊厳を傷つけないように、自分の都合を押し付けるようなフリまでしちゃって…なに格好つけてるのよ、キョンのくせに! 後になって冷静に思い返すなら、あの時のあたしは、ちょっと普通じゃなかったと思う。小さな子供が親の前で格好良い所を見せようと背伸びするように、ただひたすら、キョンに自分の優位性を誇示したかったのだ。あいつの優しさに甘えてばかりの自分に我慢がならなかったのだ、と思う。 あとまあ本当に本音の事を言えば、この状況で「逃げ」を選択したキョンに、“女”として依怙地になっていたのかもしれない、けど。 ともかく、あたしが求めたのはキョンに対する逆襲手段であり…現在のこの状況、そして今朝からの出来事を鑑みた結果、あたしの頭の中で、ぺかっと何かが閃いたのだった。 そのアイデアに手段、結果推測などがパズルのようにカチカチとはまっていき、たちまちひとつの仮法案になる。あたしの脳内では『涼宮ハルヒ百人委員会』が召集されて、すぐさま“それ”が提議された。 議事堂の半円状の議席にずらりと居並ぶ、スーツ姿のあたし達。その中で、立ち上がったあたしAが腕を振り、口から泡を飛ばす。 「本当に“これ”を採択して良いのですか? あとで後悔する事にはなりませんか!?」 「正直、その可能性は否定できません。ですがもしも採択しなければ、それはそれで後悔する事になるかとわたしは思います!」 あたしAの質疑に、敢然と答えるあたしB。周囲の大多数のあたしの中からは、やんややんやと歓声と拍手。一部では天を仰ぎ失望の息を洩らすあたしや、口をアヒルみたいにしてケッとか呟いてるあたしも。 「静粛に! それではこれより決議に移ります。賛成の方は挙手を」 議長服のあたしがコンコン!と木槌を叩き、採決が始まる。その結果、賛成87票、反対5票、棄権8票で、“それ”は可決されたのだった。 「うん、決めた!」 満足できる結論に達して、あたしは大きく頷いた。自問自答の時間は、正味1分も無かったかもしれない。 ともかく、一度こうと決めたらただちにスタートするのが涼宮ハルヒ流だ。くるりと踵を返したあたしは、キョンの奴が 「ハルヒ? どうかしたのか?」 と小首を傾げた、そのシャツの胸倉を引っ掴んで、真正面からあいつを見据えてやった。制服のブレザーだったら、ネクタイを捻り上げている所ね。 「いい、キョン? 自分じゃ気付いてないんでしょうけど、あんたは今、ちょっとした心のビョーキなの。分かる?」 「はぁ? 何をいきな」 「黙って聞きなさい! だからこれから、あたしがあんたを治療してあげるって言ってんの! いい? 分かったら四の五の言うんじゃないわよ!」 「お、おい待てハルヒ、そこは…」 四の五の言うなと釘を刺したにも関わらず、ゴニョゴニョ言いかけるキョンの呟きを全く無視して、あたしは標的と定めた建物に突撃した。ほとんど拉致みたいな形だけど、仕方がない。正直、あたしは顔から火が出そうでとてもじっとしてはいられなかったし、それに、ありえないと思いつつも万が一、億が一、キョンに拒否られたらとか思ったら、その…。 えーいもう、仕方がなかったって言ってるでしょ!? キョンの奴には主体性って物がまるで無いんだし! あいつの方からあたしをリードできるだけの甲斐性があれば、あたしだってこんな強硬手段を採ったりはしないのよ、うん! そういうワケで仕方なく、キョンを引っさげたあたしは道場破りみたいな面持ちと勢いで、その建物に乗り込んだのだった。通りには他に何組かカップルがいたけど、こういう時に人目を気にしたら負けよね。じゃあなんでお前の耳や頬はこんなにも火照ってるのかって、そんな事はいちいち訊くもんじゃないわ。 結局の所、そこはあたしがこの界隈に来て最初に看板を発見した白い建物で。外壁に提げられたその看板には、 【デイタイムサービス ご休憩3時間 3200円】 といった記述がなされていたのだった。 「ふうん…これがラブホって所なんだ…」 ちょっとした感慨を込めて、あたしは呟いた。てっきりピンク色の照明なんかがギラギラ光ったりしてるのかと思ってたら、何というか普通のホテルにカラオケボックスを合体させたような感じだ。部屋の広さに比べるとベッドが結構大きくって、あとティッシュやら何やらが脇に置いてあるのが、なんだか生々しい。 「…正確にはファッションホテルだかブティックホテルだかと呼ぶべきらしいぞ」 あたしの手で部屋に放り込まれたキョンが、カーペットに膝をついた格好でげほげほ咳き込みながらそんな事を言う。まったく、役にも立たない知識だけは豊富な奴ね。 などと思ってたら、キョンの奴は下から、じろりといった感じであたしを見上げた。 「やれやれ。俺もいいかげん、団長様の行動の突飛さにも慣れてきたかと思ってたんだが。とんだ思い過ごしだったみたいだぜ。 なんだ? まさか今日の不思議パトロールは女体の神秘を探検よ!とか言うんじゃないだろうな」 困惑ぎみのキョンの表情に、あたしは少しだけ、胸がスッとするのを覚えた。もっともっと、キョンの奴を困らせてやりた…あ、いや、違う違う。今日ばかりはあたしの都合は二の次なんだったわ。 決意も新たに、あたしは両の拳を腰に当てて前に身を屈め、キョンの顔を上から覗き込んでやった。どうにかして、こいつを励ましてあげなけりゃね! 「もし『そのまさかよ!』って言ったら、あんたはどうするわけ」 「なんだって?」 「本当の事を言うと、あたし、前々からあんたの恩着せがましい所にちょっとムカついてたのよね。あたしが何か命令するたびにさ、あんた、諦め顔で『あーもー好きなようにしてくれ』とか言うじゃない。あたし、アレがいっつも気に喰わなかったのよ。 えーと、だから、その…今日はその意趣返しっていうか」 少し言葉を詰まらせながら、あたしはそう喋っていた。う~む、論理展開に若干のムリがあるかも? いやいや、ここは強気で押し通すべきよ。 「つまり! 今は、この場所でだけはいつもの逆で…あたしの事をあんたの好きなようにさせてやろう、って話なのよ。分かった!?」 そう言い切るとあたしはベッドに歩み寄って、キョンに相対するように、ぽすんと腰を下ろした。ミニスカートから伸びる足を組んで、腕組みをして…キョンをまっすぐ見るのはさすがに気恥ずかしいので、フンと顔を横に向ける。 「あんたが、女の子の秘密を知りたいって言うんなら…別に構わないって、あたしはそう言ってるのよ…」 ともかく伝えるだけの事は伝えたので、あたしはそっぽを向いたまま、キョンの出方を待っていた。 ううう、なんともこうムズ痒い気分だわ! 普段のあたしは 「キョン! そこの荷物持ってついてらっしゃい!」 「キョン! ここはあんたのオゴリだからね!」 とか命令形で話してるものだから、こういう雰囲気はどうも落ち着かない。だからって、まさか 「キョン! あたしにエッチな事してスッキリしなさい!」 なんて言えるはずも無いし。 う~、でもあたしが憂鬱だった時にキョンが話しかけてきてくれたように、あたしもキョンの奴を刺激してやる事には成功したはずだわ。ちょっと方法が過激だったかもしんないけど。でもこういうのって、いつかは誰かと経験する事で――。じゃあ、その最初の相手がキョンでも別に悪くはないかなって、あたしは思ったの。少なくとも今の所は、他の誰かとする事なんて想像できないし。 ついひねくれた物言いになっちゃったけど、さっきのセリフだって、決してウソじゃない。いつもはこき使うばっかりで、「お疲れさま」とか面と向かって言う事もなかなか出来ないから…だから今日くらい、こういう形でキョンの労をねぎらってあげたって、バチは当たらないわよ、ね? とにかく、あたしは賽を投げつけてやったわ! あんたはどう出るのよ、キョン!? …と、振ってはみたものの。正直あたしの予想では、キョンが手を出してくる可能性は30%って所かな。「もっと自分を大事にしろ」だとか、当たり障りのない逃げ口上を使ってくるのが一番確率が高い。仕方ないわね。なにしろ、キョンだし。 まあ、あたしとしては別にどっちでも構わないのよ。キョンの奴に、あたしを抱こうとするだけの覚悟があるんなら、それは嬉しい誤算だし。必死になってどうにかあたしを説得しようとするんなら、それはいつも通りのあたしとあいつの関係に戻る、っていう事だもの。 どっちにせよ、あたしがあんたの事を気に掛けてる、その気持ちだけは伝わるはずだとあたしは思っていた。だから、悪いように事が転がったりするはずがないとあたしは信じていた。でも実際には――キョンの反応は、あたしが想像し得なかったものだったのだ。 「…なあ、ハルヒ。『好奇心、猫をも殺す』って言葉、知ってるか?」 「えっ?」 「今のお前のためにあるような、外国のことわざだよ」 むくり、と身を起こしたキョンは、そうしてゆっくりあたしの方へ歩み寄ってくる。部屋の照明は薄暗くて、その表情はハッキリとは見て取れなかったけど、ただなんとなくキョンの体の周りに、うすどんよりとした空気が漂っている、ような気がした。 「キョ、キョン?」 あたしの呼びかけにも応じず、キョンは黙ったままこちらに向かって片手を差し出してきた。あたしの左頬に、キョンの右の手の平が添えられる。 いつものあたしだったら、ここはドキドキしまくりな場面だろう。心臓の鼓動をなだめるのに必死なはずだ。でも今は何か、何かが違う。ちっとも心がときめかない。どうしちゃったの、キョン? 今のあんた、何か、こわいよ…? 「先に謝っとくぞ、ハルヒ。すまん」 少し右手を引きながら、キョンがそう呟く。それからすぐに、ぱしん、という乾いた音があたしの顔のすぐ傍で起こった。 頬をはたかれたのだ、という事を理解するのに、あたしの脳は、それから数十秒の時間を要した。 痛くはない。多分、トランプやら何やらの罰ゲームでしっぺやウメボシを喰らった方が痛い。ただ、キョンに叩かれた、という事実に頭の中が真っ白になってしまっているあたしに向かって、キョンはうめくような声を絞り出していた。 「でもな? 俺にだって許しがたい事ってのはあるんだよ。いいか、これだけは言っとくぞ。俺は間違っても、お前の身体が目当てでSOS団の活動に参加してたわけじゃない!」 あたしはただ、唖然としていた。あたしを睨み据えるキョンの瞳には、確かに憎しみと哀しみの色が入り混じっていた。 「ご褒美に身体を自由にさせてやるだと? 馬の目の前にニンジンでもぶら下げたつもりかよ。そうすれば男なんか、みんな大喜びだとか思ってたのかよ!? 俺も、そんな野郎の一人だと思ってたのかよ――。ふざけんな、人を馬鹿にするのも大概にしろ!!」 いつの間にか、キョンの感情のボルテージは急上昇していた。その怒声が、あたし達のかりそめの宿の中いっぱいに響き渡る。 その後、急速に静寂が訪れて…あたしの耳には備え付けの冷蔵庫の低いブーンという駆動音だけが、ただ虚ろに届いていた。 どうして――どうしてこんな事になってしまったのか。 キョンに頬をはたかれたショックに引きずられながら、それでもあたしは、ひたすらに考え続けていた。 躁鬱病だか何だか知らないが、たかだか心の病気くらいで女の子に手を上げるような、キョンは決してそんな人間では無い。何か、何か理由があるはずなのだ。こいつがここまで激昂するワケが。その証拠に、あたしを見下ろしているキョンの表情は、ひどく悲しく、悔しそうに見える。まるで自分の尊厳を、根こそぎ踏みにじられたような…。 そこまで考えた時、あたしはさっきのキョンのセリフをもう一度思い返してみた。キョンの立場になって、もう一度その意味を考え直して――そして、やっと自分のあやまちに気が付いた。 ああ。ああ、そうか。そうだったんだ。キョンの奴は…口ではなんだかんだ言いながら、こいつはこいつなりに、SOS団の活動に誇りを抱いていたんだ…。 そうよ、あたし自身が何度もキョンに言ってたんじゃない。この不思議探索はデートじゃないのよ、真面目にやんなさい!って。 キョンの奴が大した成果を上げた事はなかったけど、それでもちゃんとSOS団の一員としての自覚は持ってたんだ。こいつはその誇りを、胸に秘めていたんだ。 なのに団長たるこのあたし自らが、午後のパトロール任務を放り出して相方をラブホに連れ込むようなマネをしたら、それは「ひどい冒涜」だと受け取られても、仕方がなかったかもしれない。ごめんね、キョン。あたしにも反省すべき点はあったわ。でも、でもね? すっくとベッドから立ち上がったあたしは、真正面から、毅然とキョンを睨み返してやった。 「『ふざけるな』ですって? 『馬鹿にするな』ですって――? それはこっちのセリフよ、キョン!!」 啖呵と共に、左手でキョンの右腕を掴み、右手をキョンの左脇の下に差し込む。そのままくるりと回転して、あいつの体を腰の上に担いだあたしは、渾身の力でキョンを前方に投げ飛ばしてやったのだった。 女子柔道部に仮入部した際に憶えた技だ。確か『大腰』だっけ? まあ技の名前なんてどうでもいいけど。とにかく、ごろんごろんと面白いくらいの勢いで投げられ、転がっていったキョンは、部屋の出入り口扉の横の壁にぶつかって、ようやく止まった。 一瞬の事で何が起きたのかまだ分かっていないのか、尻餅をついた格好で茫然自失といった顔をしてる。ふふん、いい表情ね。 「人を馬鹿にしてるのは、キョン、あんたの方でしょうが!」 「…なんだって?」 「あたしは、涼宮ハルヒはね! 明日後悔しないように、今を生きてるの! こうしたら得するだろう、こうしたら損するだろうとかじゃなくて、いま自分がどうしたいかを第一に、ひたすら前進してるの! その決断の早さに凡人のあんたがついてこられなくて、戸惑わせちゃった事は一応謝っとくわ。だけど、だけどね!」 心の中の憤りを包み隠さず、あたしはキョンの奴を大喝してやった。 「『好奇心、猫をも殺す』ですって――? そっちこそふざけないでよ! あたしが本当に、ただの好奇心であんたをホテルにまで連れ込んだと思ってんの!? 見損なうな、このバカっ!!」 さっき、キョンは『俺にも許しがたい事はある』と言った。なら、あたしの許しがたい事はまさにこれだわ。キョンの奴が、あたしの決意と覚悟をまるでないがしろにしてるって事よ! 「確かにね!? あんたとここに入って、そーゆー事しようってのは、ついさっき思いついたわよ! 後先考えてないって言われたら、否定できない部分はあるわよ! でもね! あたしだってちゃんと考えたのよ! あんたとそーゆー関係になっちゃってもいいのかって! 初めての相手が本当にあんたでいいのかって…。百万回も! それ以上も! 頭の回路がぐるぐるぐるぐる回って、しまいにはバターになるんじゃないかってくらい真剣に考え詰めたのよ! その上で、あたしはあんたと今、ここに居るのに…それなのにッ!」 さっきのお返しとばかりに、あたしは出来うる限りの鬼の形相で、キョンの奴を見下ろしてやった。もうこうなったら徹底的に糾弾よ糾弾、アストロ糾弾よ! 「あたしだって、こんな事するのはすごく恥ずかしかったのよ! でも、ちょっとしたショック療法っていうか――つまんない悩み事なんて忘れちゃうくらいの刺激を与えたら、あんたが少しは元気を取り戻すんじゃないかと思って…。他にあんたを元気づけてあげられる手段を思いつけなくって、それに、それにそもそもは、あんたがあんな事を…言ったから、だから――」 あれ? おかしいな? キョンの奴を、これでもかってくらい締め上げてやるはずだったのに。気が付くとあたしの言葉は途切れ途切れに、言ってる内容もなんだか支離滅裂になっていた。 そして、頬の上をはらはらと伝わっていく冷たい物…。これは…悔し涙? ちょっと、ダメよ! 何やってんのよ、あたし!? ここは団長としての威厳を見せつけて、キョンの誤解をねじ伏せてやるべき場面でしょ! 何を普通の女の子みたいに泣き崩れそうになってんの!? しゃんとしなさい、しゃんと! ああ、でも無理だ。元々あたしは、感情をセーブするというのが苦手なのだ。ダムが決壊したみたいに、溢れはじめた想いはもう、止められなかった。 「だからあたしは、思い切って一歩踏み出したのに! それをあんたは…男なら誰でもみたいな…言い方をして…。 あんたはただの下っ端だけど…栄えあるSOS団の、団員第1号なのに…。あたしの最初の仲間だったのに…そのあんたに、そんな…風に、思わ…てた、なんて…」 心のどこかで、あたしは、自分が勇気を出したらキョンはきっと応えてくれると信じていた。そう期待していたのだ。でも、その期待はあっけなく裏切られてしまったから、だから――。 「もう…知らない。知らないわよ、あんたの事なんて! このバカ! バカキョン! あんたなんか、一生ぐじぐじ腐ってればいいのよ!」 自分があんまりみじめで、この場にはどうしても居たたまれなくて。あたしは小走りに駆け出した。キョンの横の扉を通り抜けて、表へ飛び出した。 ううん、違う――そうしようとしたのだ、だけど。 ドアノブを回そうとしたあたしの手に、あいつの手が重なっていた。消え入りそうな微かな声で、でも確かに、あいつはこう言った。 「悪い…。すまなかった、ハルヒ…」 なによ。何をいまさら謝ってるのよ。遅いのよ、このバカ! 衝動のまま、あたしはよっぽどそう怒鳴りつけようとした。振り払おうと思えば、あいつの手を振り払う事だって出来た。でも――。 「確かに、俺はバカだった…バカげた勘違いをして、そのせいでお前をひどく傷つけちまって…すまん、本当にすまん…」 キョンの奴、いつになく真剣に謝るんだもの…。自分で先にバカとか言われちゃったら、こっちだって怒りづらいじゃないのよ。 「本当はな? 本当は俺、お前の心遣いが嬉しかったんだ。 昨日の友達の葬式からずっと、俺はなんだかモヤモヤした不安を抱えながら過ごしてた。今日の不思議探索も、家でじっとしてたら今よりもっと気が滅入っちまいそうだから、ただそれだけの理由で参加しに来たんだ」 うつむいたまま、消え入りそうな、か細い声で呟く。あたしには今のキョンが、なぜだかやけに小さく見えた。 「気持ちが沈んでるのは分かってても、自分ではどうする事も出来なくて。お前の言った通り、俺は心の病気とやらに罹ってたんだろうな。 だからハルヒ、お前が俺の事を気に掛けてくれたのが嬉しかった。いきなりホテルに連れ込まれた時はそりゃもちろん驚いたけど、本心じゃすごく嬉しかったんだよ。 けどな――。もしも、もしもだ。 ここにいるのが俺じゃなかったら? そう思ったら、その嬉しさが逆に、心をキリキリ締めつけ始めたんだよ」 そうして再び口を開いたキョンの独白には、明らかに自嘲の色が混ざっていた。 「もしも今日のクジ引きでコンビを組んでたのが、俺じゃなくてハルヒと古泉だったら? もしも落ち込んでたのが俺じゃなくて、古泉の野郎だったら? ハルヒの奴は同じような手段で慰めたりしたのか?ってな」 「ちょ…なに言ってんのよ、キョン! そんな事あるわけが」 「俺だって分かってたさ、そんなのは邪推だって! だけど、それでも…」 一瞬、語気を鋭くしたかと思うと、キョンの奴はあたしの手に重ねていた手を、自ら離してしまった。その手で自分の顔を覆って、うめくように呟いた。 「それでも一度心にまとわりついた疑念を、俺は振り払う事が出来なかったんだ。 お前に優しくされるたびに、俺は逆に、針で突つかれたような気分になって…お前の善意を、わざとひねくれて受け止めて。正直、ビックリしたよ。俺ってこんなに卑屈な人間だったんだな、ってさ」 乾いた笑いを洩らして、それからキョンは、疲れた顔であたしを見上げた。 「すまなかったな、ハルヒ。お前に投げられて、逆になんだかスッとしたよ。自分がどれだけバカだったか、ようやく実感できた。 それだけ伝えたかったんだ。もうどこへでも行っていいぜ? 俺なら大丈…」 「どこが大丈夫なのよ、このバカっ!」 くだらないセリフを聞き終えるまでもなく、あたしはキョンの脳天にチョップを振り下ろしてやったわ。そしてあいつがひるんだ隙に耳たぶを引っ掴み、今度こそ大声で怒鳴りつけてやったの。 「自己陶酔はそれで終わり? だったら、今度はこっちの番ね!」 宣告するなり、有無を言わさず。 あたしは引っ張り上げたキョンの頭を、空色のブラウスの胸の中に、ギュッと抱きしめてやったのだった。 「まったく! あんたはいつも斜に構えてばっかだから、感情表現ってのが下手くそなのよ。だから心に余計な重荷を抱え込んじゃうのよね」 「お、おい。ハルヒ、これは…?」 「なによ。どうせ言葉で何を言ったって、あんたはひねくれた受け取り方をしちゃうんでしょ? だから態度で示してあげてんの。 言ったはずよ、あたしがあんたを治療してやるんだって。言ったからには、あたしは断固としてあんたを治すの! どんな手段を使ってもね!」 ぴしゃりとキョンの反論を押さえ込み、それからあたしは、最上級の微笑みであいつに語りかけた。 「だから、キョン。病気の時くらい、あたしを頼りなさいよ。 これもさっき言ったはずでしょ、今この時、この場所でだけは、あたしの事をあんたの好きなようにさせてあげるって。 分かった? 分かったなら今は、あたしの胸に不安でも卑屈さでも、何でも委ねちゃいなさい。全部受け止めてあげるから」 「ハルヒ、お前…怒ってないのか?」 「団長様を舐めんじゃないわよ。心が苦しい時とか、つい思ってもない事を口走っちゃったり、そういう気持ちくらいお見通しなんだからね!」 あたしの、自分で言うのも何だけど天使のような慈愛の言葉に、キョンの奴はしばらく戸惑いの表情を浮かべていた。けれども、やがて両の目蓋を閉じ、あたしの胸に深く顔をうずめてくる。 「ん、素直でよろしい。 それじゃ、これは団長としての命令ね。さっさと普段のキョンに戻りなさい。下っ端のあんたがそんなんじゃ、みくるちゃんや有希や古泉くんに迷惑が掛かるんだから」 「………ああ」 そうして小刻みに震えるあいつの背中を撫ぜ、胸の中から響いてくる小さな嗚咽を聞きながら、あたしは心の内で、いつものあいつの口癖を真似ていたのだった。 やれやれ、本当に世話の焼ける団員なんだから――ってね。 それにしても、まあ。 いつもはあれだけ減らず口ばかり叩いてるくせに、一度タガが外れたらこんなものなのかしら男の子って。図体ばかり大きくっても、こいつも中身はまだまだ子供ね。 「ハルヒ…」 「うん? なあに、キョン」 「お前の身体って、なんだかいい匂いが(バシッ!)」 訂正! 訂正訂正! こいつの中身はエロエロ大王だわ! 「どさくさに紛れてなに言いだすのよあんたはッ!?」 「いってーな! なんだよ、褒め言葉だろ?」 「ほ、褒め方がヘンタイっぽいのよっ! いきなりそんなコト言われる方の身にもなってみなさいよ、このバカっ!」 予想してなかった所に不意打ちを喰らって、あたしは思わずキョンの奴に手を上げてしまっていた。もうほとんど条件反射。パブロフの犬も爆笑ね、これは。 そんなに強く引っぱたいたつもりはなかったんだけど、中腰の姿勢であたしの胸にすがっていたキョンは、よろけた拍子に後頭部をしたたか壁にぶつけてしまった様子だった。う~っ、そんな恨みがましい目でこっち見なくたっていいじゃない。今のは事故よ事故! 事故なんだから! そりゃ『今だけはあたしのこと好きなようにしなさい』って言い出したのはこっちの方だけど、でもあたしだって初めてでやっぱり緊張してるんだし。あんただって、少しはムードを盛り上げる努力とかしなさいよ! ほら、その、キ、キ、キスとか、さ!っていうかキョン、あんた、まだあたしに――。 などと、あたしが形容しがたい感情の変転に心を振り回されていると。キョンの奴はその表情を、唐突に苦笑いに変えた。 「やれやれ、今のも本気で褒めたつもりだったんだが。どうも人生ってのはままならないもんだ」 「なによ、キョンったら大げさね。こんな事くらいで人生語っちゃって」 「いや、まあ何というかだな…」 言いづらそうに語尾を濁して、キョンは頬を掻きながら視線を逸らした。 「これ、本人からは『内緒ですよ?』って言われてたんだけどな。実は俺、午前の探索の時に忠告を受けてたんだよ、朝比奈さんに」 「へっ? みくるちゃんから、忠告?」 ええと、それからこいつが語った所によると。 午前の間に、みくるちゃんからキョンにアドバイスがあったそうなのよ。いわく、 「あのね、キョンくんの事も心配なんだけど、わたしとしては涼宮さんの事も心配なの。キョンくんがいつもの調子じゃない事を、彼女、すごく気にしてるように見えたから。 だからキョンくん、本当に元気出してくださいね? それと、もしかしたら涼宮さん、ちょっと強引な方法でキョンくんを励まそうとしたりするかもしれないけど…広い心で受け止めてあげてね? お願い」 という事らしい。 へえ、あのみくるちゃんがそんなお姉さん的発言をねぇ。まがりなりにも先輩、って事なのかしら。外見からは、とても年上とは思えないんだけど。 うーむ、でもあたしがキョンの事を気にしてる間に、みくるちゃんはあたしとキョンの両方を心配するだけの余裕があったわけだから、ここは素直に敬服しておくべきかしら。うん、そうね。次のコスは女教師物なんかが良いかも………って、えっ? ええっ!? という事は? ロボットみたいにぎくしゃくした動きでキョンの方へ首を向けたあたしは、おそるおそるあいつに訊ねかけてみた。 「じゃ、じゃあキョン、あんたひょっとして…気付いてたの?」 「やれやれ、やっぱそうだったのか。長門が午後のクジ引きの爪楊枝を差し出してきた時点で、妙な感じはしてたんだけどな」 少し困ったような顔で、キョンの奴は大きく肩をすくめてみせた。 つまりまあ、そういう事だ。 午前の探索の間に、あたし、有希、古泉くんの3人は、キョンを元気付けるための作戦を立てた。その際、古泉くんは 『彼の場合、変なお膳立てをしてしまうと、かえって反発しかねません。ここはあくまで偶然を装うとしましょう』 というアドバイスをくれて、あたしと有希もそれに同意。午後の班分けの時に有希に協力して貰って、作戦は決行されたわけよ。 ところが一方、同じく午前の探索の間に、みくるちゃんはキョンに 『もしかしたら涼宮さん、ちょっと強引な方法でキョンくんを励まそうとしたりするかもしれないけど――』 とアドバイスしていたわけで。キョンの奴には、あたし達の“お膳立て”はバレバレだったらしい。 はー、道理でキョンの奴、あたしの言葉をひねくれて捉えてたわけだわ。 あたしだって時々、親の気遣いなんかを「余計なお世話っ!」とはねのけてしまう事があるもの。心を病んでいたキョンが、みんなの心配を逆に、自分が弄ばれてるように錯覚して受け止めてしまったとしても無理はないわね。 けど、それにしたってこれは…ねえ? さっきまでキョンの治療をしてあげるとか言っていたあたしだけど、今はむしろ、自分の方が虚無感とやらに襲われてる気分よ。 「なんだかなあ…。あたし達SOS団全員、お互いに良かれと思って、その実は足の引っ張り合いをしてたわけか…」 「俺も結局、せっかくの朝比奈さんの忠告を生かせなかったし。結果的にはそういう事になるかもな」 だからって、もちろんあたしは、みくるちゃんを責めたりする気にはならないわよ。みくるちゃんはみくるちゃんで、あたし達のためにいろいろと気を使ってくれたわけだしね。 ただ、何と言うか…廊下で向こうからきた人をよけてあげようとしたら、あっちも同じ方向に動いてきたみたいな? そんな苛立ちと虚しさを、さすがのあたしもひしひしと感じざるを得なかったわね。さっきまであれやこれやと、さんざん気を揉んできただけに。 「なんか、急に疲れがどっとわいてきちゃったわ。もしかしてあたし達って、ずっとこんな風にうまく行かないのかしら」 「おいおい、さすがにそれは…ん、いや待てよ? だとしたら、あー…」 あたしの嘆息に苦笑しかけて、キョンは急に真剣な顔になると、なにやら考え込み始めた。ちょっと、いったい何なのよ? 「なあハルヒ、お前は普通じゃない体験をしたいんだよな?」 「はぁ? 何よいまさら」 「そいつは一言で言うと、映画や小説の主人公みたいになりたいって事か?」 「ええ、そうね! あたしにはやっぱり、主役級の大活躍こそがふさわしいもの!」 鏡を見るまでもなく、この時のあたしは宝石みたいに瞳をキラキラ輝かせてたはずよ。そんなあたしに向かって、キョンの奴はどこか呆れたような表情を見せた。ちょっと、自分で振っといてその態度は何よ!? 「それじゃ仕方がないな。お前の行く手には、常に何らかの障害が立ちはだかるってこった」 「えっ? どういう事よ、それ!?」 「だってそうだろ。俺が映画で見た冒険家は、お宝にたどり着くまでにゴロゴロ転がる大岩に嫌ってほど追い回されてたし、名探偵は後ろから角材で殴られたり、覚えのない冤罪の汚名を被せられたりしてたもんだ。 逆の視点から見れば、映画やら小説やらの主人公ってのは、そういうトラブルをどうにかして乗り越えていくからこそ魅力的なんじゃないのか?」 愉快じゃないけどキョンの指摘は確かで、あたしは頷かざるを得なかった。 「それはまあ…そうかもしんないけど」 「つまりだ、お前が主役級の大活躍って奴を追い求めてる以上、必然的に何かに妨害されて、どうにも思うように事が運ばないって状況が訪れるわけだな」 そのセリフから一拍置いて、すっと目を細めたキョンは、なにやら挑戦的にあたしに問いかけてきたのだった。 「さて、どうするんだ団長さんよ? これからもいろいろと邪魔が入るとして、それでもまだスーパーヒロインを目指すのか?」 ああ、この顔だ。少し皮肉っぽい口元。諦観の混じった眼差し。小首を傾げて、どこか挑発するようにあたしに訊ねかけてくる。 あたしに向かって、こんな顔をする奴はそうはいない。あたしの大っ嫌いで、そして大好きな――いつもの、キョンの小憎たらしい表情だ。 「ずいぶん大層なご口上ね、キョン。あたしを試してるつもりかしら?」 キョンの奴が復調したからには、何も遠慮する事はない。あたしは腕組みをして、キョンの頭の真横の壁にドン!と片足を踏みつけると、大上段から丁寧に答えてさしあげたわ。 「妨害? 邪魔? 望む所よ、来るなら来たいだけ来ればいいわっ! この涼宮ハルヒ様の前を塞ぐような連中はね、たとえ緑色の火星人だろうが青っちろい海底人だろうが、みんなまとめてボッコボコにして…あげ…」 そう、あたしは大見得を切るつもりだった。それにやれやれとキョンが呟くのが、いつものあたし達の小気味良いパターンのはずだった。のに。 「…ハルヒ?」 けれどもその時、キョンの顔を見た瞬間。 あたしはなぜかセリフを途中でノドの奥に詰まらせて、ホテルの一室に、馬鹿みたいに呆然と立ちつくしてしまったのだった。 どうしたんだろう。舌がなんだか縮こまっちゃって、うまく話せない。 「ね、ねえキョン。その、つまんない疑問なんだけど、さ」 「うん?」 こちらを見るキョンの様子がおかしい。明らかに心配そうだ。そんなに今のあたしはひどい表情をしているのか。 「こないだ、なんとなく深夜映画を見てたのよ。それがまた陳腐でチープなB級とC級の相の子っぽい、つまんない代物だったんだけど」 「ふむ、そりゃまた中途半端につまらなそーな映画だな。しかしハルヒ、あまり夜更かしが過ぎるとお肌に悪いぞ」 「うっさい、話を混ぜっ返すなっ! …でね、その映画ってのが、途中で主人公をかばってヒロインが死んじゃうのよ。でもって墓前に復讐を誓った主人公が敵の本陣に乗り込んで、クライマックスになるわけなんだけど」 べたりと汗のにじんだ手の平を握りこんで、あたしはキョンに訊ねかけた。 「もしも。もしもよキョン、あんたが言った通り映画の主人公がトラブルを乗り越えて行くべき存在なら…ヒロインが死んじゃったのって、それって主人公のせいなのかしら…?」 あたしがその質問をした途端、キョンは「あ」と小さく声を上げた。苦虫を噛み潰したような表情になって、それから、ゆっくり口を開いた。 「おい、ハルヒ。分かってるとは思うが、さっき俺が言ったのは『物語を客観的に見ればそういう考え方も出来る』って程度の話だぞ」 うん、そうよね。それは分かってる。 「脚本家やらプロデューサーやらの都合じゃヒロインが死ぬ必然性はあったかもしれないが、それは当然、主人公の意思とは無関係だ」 それも分かってる。けど。 「だいたい、自分が活躍するためにヒロインが死ぬ事を望むヒーローなんか居るかよ。もし居たとして、そいつはヒーローなんかじゃない。 だからその、何というか。要するに、俺はお前を責めるつもりであんな発言をしたわけじゃないってこった。単純にお前にトラブルを乗り越えてく覚悟があるかどうか確かめたかったっつーか、なんとなく意地悪な質問をしてみたかっただけというか。 大体ここまで人を巻き込んどいて、いまさら遠慮とかされても逆にだな」 「分かってるわよそんな事ッ! だけど…」 そう、分かってる。分かってるのよ。キョンの言い分は全て理にかなってる。こんなに声を荒げてるあたしの方が、きっとおかしいんだ。 でも。それでも! 「でもやっぱり、主人公が英雄的活躍を求めた結果として、ヒロインが死んじゃった事には変わりないじゃない!? あたしは、そんなのは嫌…。あたしのせいでキョンが居なくなるなんて、絶対に我慢ならない事なのよ!」 ああ、言ってしまった。直後に、あたしはそう思った。 それは言いたくなかったこと。認めたくなかったこと。でも言わずにはいられなかったこと。 「――北高に入って、あたしの日常はずいぶん変わったわ。毎日がとても楽しくなった。中学の頃なんかとは段違いに。 あたしはそれを、自分が頑張ったおかげだと思ってた。SOS団を作って、不思議を追い求めて。前に向かってひたすら走ってるから、だから毎日楽しいんだと思ってた。 昨日まで、ついさっきまで、そう思ってたのよ! でも、違った。本当はそうじゃなかった…」 「何が違うんだ? お前が日常を変えようと努力してたって事なら、俺が証人台に立ってやってもいいぞ? その努力の方向性が正しかったかどうかは別問題として」 この湿った雰囲気を変えようとでもしてるのだろうか、軽口っぽくそう言うキョンを、あたしは鋭く睨みつけた。 「だから、それよ! 気付いちゃったのよ、あたしは、その事に!」 「意味が分からん。いったい何に気付いたっていうんだ?」 「あんたが、あたしの背中を見ていてくれるから! だからあたしは走り続けていられるんだって事によ!」 気が付くと、あたしは深くうつむいていた。今の表情を、キョンの奴には見られたくなかったのかもしれない。 「中学の頃だって、あたしは走ってたのよ。日常を変え得る不思議を捜し求めてね。でもあたしはずっと一人で…息切れとか起こしたって、それに気付いてくれる奴は誰も居なかった…」 「…………」 「あの頃と今と、何が違うのか。 今のあたしが前だけ向いて、心地よく走り続けられるのは、それはあたしの後ろで、あたしの背中を見続けてくれる奴が居て…。もしもあたしが転んだとしても、すぐにそいつが駆け寄ってきてくれるっていう安心感の後ろ盾があるからだ――って…気付いちゃったのよ…」 喋っている間に、いつの間にか立ち上がったキョンが、すぐ前に立っていた。あたしはうつむいたままだからその表情は分からないけど、腕の動きから察するに多分、さっきぶつけた後頭部をさすっているんだろう。 「ありがたいお言葉なんだが、お前にそう殊勝な事を言われると、驚きを通り越して寒気がするんだよなあ。 ともかくハルヒよ、別にそれは俺だけの話じゃないだろ。朝比奈さんや長門や古泉、その他もろもろの人がお前を支えてくれてる。俺なんかパシリ役くらいしか務まってないぞ」 「そうよ! あんたはみくるちゃんみたいな萌えキャラでもないし、有希ほど頼りになんないし、古泉くんほどスマートでもないわ! せいぜい部室の隅に居ても構わないってくらいの存在よ!」 「やれやれ、俺はお部屋の消臭剤か」 なんで、あたしはこんなにイラついてるんだろう。どうしていちいちキョンの言葉に反応してしまうんだろう。 あたしの不愉快さは、それはもしかして…不安の裏返しなの? 「そう、あんたは特に取り柄があるわけでもない、ただ単に手近な所に居ただけの奴だったのに! そのはずなのに! でもあの春の日に、あたしの髪型の変化に気が付いたのはあんたで…その後もあたしの事を一番気に掛けてくれるのはあんたで…。 いつの間にかあたしは、あんたに見られる事を意識するようになってた…。あたしがこうしたらあんたはどんな反応するだろうって、それが一番の楽しみになってた。 あんたが変えちゃったのよ、あたしを! もうあの頃のあたしには戻れないのよ! それなのに、あんたがあんな事を言うから…」 ああ、失敗。失敗だ。 うつむいてしまったのは大失敗だった。確かに表情を見られはしないけど、にじみ出てくる涙をこらえられないんじゃ、意味がない。 「あんたが…人間なんて明日どうなってるか分からないとか言うから…。だからあたしは、こんなに不安になってるんじゃない!」 あんまり悔しくって、あたしは涙に濡れた顔を上げ、再びキョンの奴を睨み据えていた。 つい先程聞いた有希のセリフが、また胸の奥でこだまする。 『彼の言っていたのはある面での、真理』 『価値観は主に相対性によって生ずる。最初から何も無かった状態に比して、あるはずだったものをなくしてしまった時の喪失感は、絶大』 今なら、その意味が分かる。 あたしにとってあるはずのもの、そこに居てくれなければ困るもの。それは、キョンだったんだ――。 「もし…もしもあんたを失っちゃったら、きっとあたしは今のあたしのままじゃいられない…。何度も何度も後ろを振り返って、おちおち前にも進めなくなる…。 そんなの嫌! そんなのはあたしじゃない! だから、あたしは!」 こんな事を言ったら、キョンはきっとあたしの事を軽蔑するだろう。そう思いながらも、でも一度ほとばしった罪の告白は、途中で止められるものではなかった。 「あんたをここへ、ラブホへ誘ったのは、なんとか励まして元気付けたかったからっていうのは本当。 でもあたしにはあたしなりの思惑があって…。あんたが目の前に居て、あんたに触れる事が出来る内に、あんたとしておきたかった…。 あんたがあたしと一緒に居たって証拠を、心と身体に刻み込んでおきたかったのよ! 悪い!?」 はあ。 言っちゃったなあ…あたしのみっともない本音を。 キョンの奴も、さすがに愛想が尽きただろう。いつも偉そうぶってるあたしがこんな、ただの利己主義で動いてるような人間だと知ったら。 キョンの反応が恐くて、あたしはギュッと固く目を瞑って、肩を震わせる。そんなあたしの耳に、キョンの呆れたような声が届いた。 「やれやれ。男冥利に尽きるお言葉ではあるんだが、願わくばもう少し可愛げのある言い方をしてくれないもんかね」 「………は?」 「いや、訂正しとこう。可愛げのあるハルヒってのは、やっぱりどうも薄気味悪い。少し横暴なくらいがお似合いだな」 「な、なんですってぇ!?」 あたしの本気を茶化すような、あまりといえばあまりの雑言に、あたしは思わず目を剥いて、キョンの胸倉を掴み上げてしまう。 すると、キョンの奴は悪びれもせずにあたしの目を見つめ返し、子供をあやすようにポンポンとあたしの頭を叩きながら、こうささやいた。 「なあ、ハルヒ。ひとつ訊くぞ?」 「…何よ」 「お前は、俺に消えていなくなってほしいのか?」 「なっ、このバカ! 今までなに聞いてたのよ、その逆でしょ!? あたしは、あんたと…」 「だったら、つまんないこと心配すんな」 え、と顔を上げたあたしに、キョンは驚くほどキッパリと言い切ったの。 「お前が望んでる限り、俺は、ずっとお前の傍にいるはずだから」 ――まったく。 まったくもう、なんでこいつは。 普段は優柔不断の唐変木ののらくら野郎のくせに、こういう時だけは断言できたりするのだろうか。 不覚にも、ぐっと来てしまったじゃないか。 不覚、不覚! 涼宮ハルヒ一生の不覚! 気付けばあたしはキョンの胸にすがりついて、ボロボロに泣き崩れていた。さっき流した悔し涙や、不安と寂しさで流した涙とは全然違う、それは頬がヤケドしそうなくらい、熱い、熱い涙だった。 あーあ、ヤんなっちゃうな。 キョンのシャツに濡れた頬をうずめながら、あたしは心の中で溜め息を吐いた。一度タガがはずれちゃったら、子供みたいに脆いのはあたしの方じゃない。そんなあたしの背中を、キョンは優しく撫ぜてくれている。 今日は、あたしがキョンの奴を励ましてやるはずだったのに。いつの間にこうなっちゃったんだろう。なぜだかこいつ絡みだと、物事がいちいちうまく運ばない。 どうしてキョンが相手だと、こんなにも調子が狂っちゃうのかな。理由を知っていたら、誰か教えてほしい。 うん、でもそんなに悪い気はしない。っていうか、むしろあたしはずっとこうしたかったのかな…? 弱みも何も全部さらけ出して、キョンにぶつけてみたかったのかも。 ひょろっとしてる印象だったけど、キョンの胸、意外とガッシリしてる。やっぱり男の子なんだなぁ。クーラーが強めに効いた部屋の中、こいつの体温が心地いい。もう、いっそこのまま時間が止まってくれれば…いいの…に…? ――えーと、ちょっとゴメン。あたしのおへそ辺りに当たってる、この硬いモノは、一体なに? あ、いやいい。説明いらない! 遠慮する! ここがどこで何をする場所かって考えたら、自ずと分かるし! そうよ、何をいまさら。落ち着け。落ち着け、あたし。はい、深呼吸。ひっひっふー、ひっひっふー。 はぁ。しかしこいつも、ついさっきまで 『俺は間違っても、お前の身体が目当てでSOS団の活動に参加してたわけじゃない!』 とか何とか言ってたくせに、ココはしっかりこんなにしてんのね。まったく、これだから男って奴は! まあ、でも大目に見てやるとしますか。キョンの奴、あたしでこんなになってるんだ――って思ったら、正直ちょっと嬉しいし。 いいわ、ここはあたしの方からきっかけを作ってあげる。このままじゃ、まるであたしが一方的に泣かされてるみたいで、なんだかシャクにさわるしね! トン、と軽く突き放すように、あいつの胸に両手をつく。2、3歩下がって、数秒うつむき、それからあいつに向かって全力の明るい笑顔を見せつけてやる。 「キョン、あたしちょっと顔洗ってくる!」 「え?」 「こんな顔、みくるちゃん達に見せられたもんじゃないでしょ! いい? すぐ済むからちゃんと待ってんのよっ!?」 キョンの眼前に人差し指を突き出し、なるべくいつもの口調っぽくそう命令する。キョンの奴はまだ心配そうな、そしてなんだか名残惜しそうな表情をしていた。ふふ、変な顔! 精一杯の笑顔を浮かべたまま、あたしは虚勢を張ってるのがバレない内にバスルームへと駆け込んで、後ろ手に扉を閉めた。 ふー。よし。 ひとまず作戦の第一段階は成功ね。 鏡を見てみる。うわ、眼が真っ赤だ。目蓋もちょっと腫れぼったい。あれだけぐずってたんだから、それも当然か。 蛇口をひねり、両手ですくった冷たい水で、叩きつけるように何度も顔を洗う。備え付けのタオルで顔を拭いて、もう一度、鏡を見てみる。うん、だいぶマシになったかも。 そうしてあたしは、鏡の中のあたしと視線を合わせた。 「本当にいいかな、あたし?」 (いいんじゃないの、あたし) すぐに鏡の向こうから答えが返ってくる。そうね、さっきの涼宮ハルヒ百人委員会は、賛成87票、反対5票、棄権8票だった。今は違う。今は賛成100票だって確信できるわ。 あいつが、あんなにもキッパリと言い切ってくれたから。だからもう、ためらわない。後戻りはしない。 ん、とひとつ頷いたあたしは、ブラウスの胸のボタンを上からひとつずつ外し、インナーのキャミソールごと一息に脱いで、それを衣装カゴに、ぽいと放り込んだのだった。 続いて背中に手を回し、ブラのホックに指を掛ける。瞬間、なんとなく孤島での嵐の中の出来事を思い返した。 あの時も、キョンはあたしの事を助けてくれたっけ。あいつは自分の事を「せいぜいパシリ役」だとか言うけど、ああいう時に自分がどれだけ他人のために一生懸命になれるのか、当の本人は気付いてないのかしらね。 くすっと、自然に笑みがこぼれる。気恥ずかしさよりもなんだか愉快な気分で、あたしはブラの肩紐から両腕を引き抜いた。 スカートのホックも外し、すべり落ちたそれを爪先に引っ掛けて、これも衣装カゴの中へ。ショーツは…履いたままでいいか。ほら、男の子ってこういうの自分の手で脱がすのも萌え~!だとか言うじゃない? …ってのは建前で。本音を言うとさすがに全裸っていうのはちょっと抵抗があるの。まだ初心者なんだもの、仕方ないでしょ!? とにかく、今はこの薄布1枚があたしの心の防波堤だ。うむ。 とまあ、ここまでは良いとして。次にあたしは、初心者ならではの難問にぶち当たってしまったのよね。 「靴下って…脱いどくべきなのかしら…?」 しまった、あたしとした事が。これはリサーチ不足だったわ。う~、だってそういうフェチとか? 正直あたしには形式的な面しか分からないんだもの。 でも大丈夫、こういう時こそ萌えキャラのみくるちゃんでシミュレートよ! えーと、パンツ一丁および靴下オンリーな姿でキョドってるみくるちゃん…。う~む? …なんだか狙い過ぎであざとい気がするわ。キョンはもう少し自然体な方がストライクよね、きっと。 結局、あたしは靴下も衣装カゴに放り込んで、裸身の上にバスタオルを巻いた。本当はシャワーを浴びたい所だったけど、軟弱者日本代表みたいなキョンの場合、あたしが出て行くまでの間に緊張感に耐え切れなくなって逃げ出しかねない。だからここは譲渡してあげるわ。あたしの気遣いに感謝なさい、キョン! 出て行く前にもう一度鏡を見て、髪型やら何やらをチェック。それから生唾をひとつ飲み込んで、あたしはバスルームの扉を押し開けた。 いっそのこと冗談っぽく、 「はーい出前でーっす! 涼宮ハルヒ一丁、お待ちーっ!」 とでも言ってやろうかと思ったけど、さすがにそれはキョンも引くわね。 っていうか、やろうったって出来ない。いつか部室であたしが着替えようとした時みたいに、キョンにスルーされたらどうしようとか思うと、それだけで足元がおぼつかなくなる。ううん、大丈夫。あの時とは状況が違うわ。 はたして。キョンの奴はあたしに背を向けるように、ベッドから前に身を乗り出していた。どうやらテレビ台の中のゲーム機を物色していたらしい。扉の音に気付いて、こちらへ振り返ったキョンは一瞬ぎょっとした表情を見せ、それから困ったように視線をあらぬ方向へそらした。あー、でもこっちの方をチラ見はしてるみたい。 良かった。良くはないけどでも良かった。顔を洗うだけにしては時間が掛かり過ぎなのである程度は察していたのか、キョンの奴、思ったよりはあたしの格好に動揺してないみたいね。 ベッドの端に腰掛け直したキョンは、あ~、とか、ん~、とか唸りながらしばらく言葉を選んでいたけれど、結局うまい表現がみつからなかったのか、やがて所在無げに立ち尽くしているあたしに向かって、無言のまま自分のすぐ左隣をポンポンと叩いてみせてくれる。 内心でホッとしながら、でもその思いはおくびにも出さずに、あたしはバスタオルの胸元を押さえつつ小走りでキョンの元へ駆け寄って、誘いのまま横に腰を下ろした。 むう~。隣に座ったはいいけど、キョンと視線を合わせらんない。あたしは馬鹿みたいに、前方のカーペットの模様ばかりを眺め続けてる。キョンはキョンで、こっちをまともに見ようとしないし。まるでクイズ番組に出場してはみたものの、緊張しすぎで何も答えらんない一般視聴者みたいだわ。 きっかけ、何かきっかけはないものかしら。いっそ空から隕石でも落ちてきてくれれば、キャッ!とキョンにしがみ付く事だって出来るのに。などと谷口並みにアホな事を考えていると、キョンがぽそりと、呟くようにこう訊ねかけてきた。 「おい、ハルヒ。本当にいいのか…?」 「な、何よ!? 怖気づいてんの、あんた!?」 あーん、もう! この期に及んで何を言い出すのよキョンったら! 「すまん、お前がふざけてこんな真似してるわけじゃないってのは分かってる。こういう事訊くのって失礼だよな。 でも俺は、お前が心を病んでた俺を励まそうとしてくれてたのを知ってるわけで…。つまり、何というか」 「…………」 「今このまま、お前とその、ヤっちまうのって、なんだかお前の善意につけこんでるみたいで、どうも気が引けるんだよな。怖気づいてるって言ったら、確かにそうかもしれないんだが」 そう言って、申し訳なさそうに目線をそらす。そんなキョンの横顔に、あたしは再び、はぁ、と溜め息を洩らした。 こいつのこういう律儀な所って、嫌いじゃないけどさ。これから先、苦労させられそうね。心の中でそう嘆きながら、あたしは両手でキョンの左手を引っ掴み、あたしの左胸に強引に押し当てさせてやったのだった。 「っ!?」 「ねえ、キョン。あたしさ、以前からずっと自分のこの胸が疎ましかったのよね」 キョンの奴は大きく目を見開いて、口をパクパクさせてたけど、あたしは構わずに話を進めた。 「この胸が膨らみ始めた頃から、親も、周りも、あたしに“女の子らしくあること”を強いるようになってきたんだもの。 自分の行動に枷をはめられたみたいで、だからあたしはこの胸がキライだった」 話しながら、あたしはふふっと軽く笑う。なぜなのかしらね、キョンが相手だとこういう話題も気負わずに話せるのは。 「ほら、高校生活の最初の頃、あたしは男子が教室に居ても平気で着替えてたりしてたじゃない? アレも、当てつけみたいなものだったのよ。胸があろうがなかろうが、あたしはあたし、涼宮ハルヒなんだ――って、無言の内に、あたしはそう主張してるつもりだったのね」 「ああ、アレにはびっくりさせられたな。もしや特殊な性癖の持ち主なのかと、密かに期待したりもしたもんだが」 「バカね、そんなわけないでしょ!?」 掴んでいた手の平の皮を、ギュッとつまみ上げる。キョンの呻き声をわざと無視して、あたしはさらに言葉を続けた。 「でもね、今はちょっと違うかな。今は下着姿だって、そう易々と見せてやるつもりもないし、あたしのこの胸で誰かをドギマギさせてやれるんなら、それもいいかなって思ってる。 それがどうしてかは…そのくらいはいちいち説明しなくても、おバカのあんたにも分かるでしょ、キョン?」 目を細めて、あたしはキョンに微笑みかける。バスタオル越しにでも、あたしのこの鼓動は伝わってはずよ。ね? ああ、それにしても。あの頃のあたしは、本当にひどい考え違いをしてたんだなあ。女の子同士がスキンシップで触れ合うのと、男の子が女の子に触れるのとじゃ、ぜんぜん意味合いが違うんだ。 うー、みくるちゃんゴメン。いつぞやのコンピ研での一件は、いま思うとちょっとひどかったかも。いつかきちんと謝っておこう。などとあたしが考えていると、キョンの奴がいつになく真摯なまなざしをこちらに向けてきた。 「すまん、ハルヒ」 ふん、ようやくあたしのこの想いを理解できたみたいね。ちょっとばかりまだるっこしい気分にさせられたけど、まあいいわ。分かってくれたんなら許してあげ…。 「俺も健康な若い男子なんでな。この状況はちょっとばかり刺激が強すぎるというか」 は? 「もう理性が持たん」 あの、もしもし? 「正直、たまりませんッ!!」 言うなり、キョンとの密着感が急激に増して。あたしはあっという間にベッドに押し倒されていた。 あーっ、もう! ちょっと見直してやったら、すぐこれだ! どうしてこういつもいつも、言う事とやる事がちぐはぐなのよあんたはっ!? そんなにがっつくんじゃないわよ! この…バカ…。 思わぬキョンの強引さに、あたしは少し眉をひそめつつ、諦めぎみに目を閉じた。いいわ、もう。煮るなり焼くなり、今度こそあたしの事をあんたの好きにしなさい、キョン――。 布団の冷たさとキョンの温もりとの狭間で、熱気を帯びたあいつの吐息が降りてくる。心持ち尖らせたあたしの唇の先が、やがて包み覆われていく。 なんだろう、初めてのキスなのに、初めてじゃない感じ。求めていたものが満たされていくような、そんな感じ。 できる事ならずっと、こうしていてほしい。開けば生意気な言葉ばかりポンポン飛び出すあたしの口なんか、このまま塞ぎ続けてほしい。ねえ、キョ…んっ? わ、わ。キョンの奴、一度唇を離して息を吸い直したと思ったら、今度はさっきよりも強く、こするように押し付けて、あたしの唇の間を割って舌先を入れてきた…。 いやあのその、あたしだって大人のキスがそーゆーものだって事くらい知ってるわよ!? でもちょっといきなりすぎっていうか、こっちだって心の準備ってものが、ねえ? う。あたしの前歯の上下の境を、キョンの舌がなぞってる。もっと奥にまで入り込みたいの? そうなのね? 仕方がない。そう、仕方がないので、あたしはあいつをもう少しだけ受け入れてやる事にした。――その数秒後、あたしは自分の判断および見通しが甘かったのを思い知る事になる。 ちょん、と先端と先端が触れて、それだけで怯えたように逃げるあたしの舌を、キョンの舌が追いかけて、押さえつけ、絡め取るように根元から舐め上げ、吸い上げて…。 ちょっと、ちょっと何よこれ!? なんかこれエロい! エロいわよこのキス! なんとなく口の中の出来事をあたしとキョンに置き換えて想像してみたら、体の奥の方が大変な事になってきちゃったじゃない。 あーん、前に見た夢だってリアリティありすぎだって思ってたのに! 現実はさらに凄いってどういう事よ!? もうっ、キョンのすけべぇ! ヤバい。いや本当に。これは少々ヤバいかもしんない。あたしは薄ら寒い恐怖さえ感じていた。キョンの事をあまりに過小評価していたのかもしれない。 単になりふり構わずっていうだけの感じだけど、こうも一気呵成に攻め込まれたんじゃ…好きにしなさいどころじゃないわ、まるで抵抗できない。このままじゃ、あたしがあたしでなくなっちゃいそう。だいたい、キョンの奴にいいようにあしらわれっぱなしっていうこの状況が気に食わないわ。キョンのくせに、生意気よ! なんとか主導権を握り返さなきゃ、と焦燥感に追われるあたし。しかしながら…いつも古泉くんとやってるボードゲームの成果なんだろうか、あたしはまたしても、あいつに先手を打たれてしまったのだった。 キ、キ、キスしながら耳を撫ぜるなあっ! あやうく、あたしは官能の波に飲まれてしまう所だったわ。けれどもその間際、頭の中にふっとひとつの疑問が浮かんで、あたしは精一杯の力でキョンに抗った。 「ぷはっ。ちょ、ちょっと待ちなさいよ、キョン!」 「あ…悪い、なんだか夢中になっちまって。息、苦しかったか?」 「それは別にいいのよ! いや良くないけど!」 「どっちだよ」 「だから、あたしが言いたいのはそういう事じゃなくて! …なんだかあんた、やけに手馴れてるじゃない。ひ、ひょっとして初めてじゃ…ないの?」 訊ねてから涙目になりそうになってしまっている自分に気付いて、あたしは内心でひどく狼狽した。 可能性として、あり得なくはない。でもキョンもあたしと同じように初めてのはずだと最初から疑って掛かりもしなかったのは、それは、別の答えを認めたくなかったからなんだ。知らなかった。あたしが、こんなに独占欲が強かったなんて…。 そんなあたしの葛藤を知ってか知らずか、キョンの奴はあたしの問いに、憮然とした表情で答えた。 「バカ言え。何の自慢にもならんが、俺は正真正銘たった今が青い春と書いて青春真っ只中だ」 「嘘! 嘘よ、だってあんた…」 「なんだハルヒ、お前『門前の小僧、習わぬ経を読む』という言葉を知らないのか?」 「へっ?」 「つまりは、見よう見まねって事だよ。 お前の朝比奈さんに対するセクハラ攻撃を、いったい俺が何度止めに入ったと思ってるんだ? あれだけ見せつけられりゃ、嫌でも目に焼きつくっての」 そうしてあいつは、あたしの耳元に顔を近づけて「本当はずっとお前にこうしてやりたいとか思ってたかもな」なんて小声でささやくと、あたしの耳を、はむっと甘噛みしてきたのだった。もう。キョンの奴ったら調子に乗って、ここぞとばかりに! でも安心感で満たされちゃったあたしの心と身体は、キョンの攻勢を受け入れざるを得なかったのよね。そっか。そこまであたしの事を見てるのか。うん。それならまぁいいわ。何が? 知らないけどまぁいい。 ここはあんたのお手並み拝見と行きましょ。たまにはあたしの事をきちんとリードしてみせなさい。ねっ、キョン――。 それからまあアレやコレやを経て、あたし達の最初のセックスは終わった。 別にごまかすつもりはないんだけれども、この後の事は断片的にしか記憶がない。お互いに初めてだったせいもあって、何というかおままごとみたいな? そんなつたないセックスだったと思う。 でもまあ、あたしは結構満足していた。右も左も分からない中を無我夢中で駆け抜けるような、あんな感覚って嫌いじゃない。誰かに手ほどきを受けるより、むしろその方が痛快じゃないの。 当然ながら、反省点も多々あるんだけどね。 えーと、ほら動物の世界で『マウント』ってあるじゃない。犬とかが自分の優位性を誇示するために他の犬にかぶさる、ってヤツ。 アレの最中は、やっぱり人間も動物みたいになってるんだか――その、あいつがのしかかって来るたびに「ああ、あたしは今、キョンのモノにされてるんだ」って思えて…それが何故だか嬉しくって…。 一個人としては「女の子をモノにする」っていうのはむしろ不愉快な表現なんだけども、でもあの時ばかりは不思議とあいつの体重を、ベッドのスプリングに分けてやるのが無性にもったいないような気がしたの。 で、キョンの奴が「もう少し力抜いた方がいいぞ」って言ってるにも関わらず、やたらと四肢を踏ん張ってしまったあたしは現在、首から背中にかけてアンメルツヨコヨコの匂いを漂わせたりしているのだった。あと実は、お腹の中もちょっとヒリヒリ痛い。生理用の痛み止めでなんとか紛らわしてるけど。 教訓。その場の感情に流されすぎちゃダメね。利用できる物はきちんと利用するべきだわ。そう日記には書いておくとしよう。 それにしても。 『涼宮ハルヒ秘密日記』のページ上にトントンと意味もなくペン先を振り下ろしながら、あたしは口をアヒルみたいにしていた。 今更ながらに思うけど、キョンの奴ってズルい! ううん、あいつがズルいのは前々から分かってたのよ。毎度あたしの後ろからひょこひょこ付いてきて、美味しい所だけご相伴に預かろうとするような奴だものね。 でも、今回ばかりはちょっと許しがたい。そうよ、あの行為の最中は気が付かなかったけど、こうして家に帰ってお風呂に入って夕食を済ませてから落ち着いて思い返してみるに――。 キョンの奴、あたしに「好き」とか「愛してる」とか、まだ言ってないのよ!? あたしに散々アレだけの事をしておいてッ! あたしの初めてを…あんな風に奪っといて…。 いやまあ、実はあたしの方も改まって告白したりするのは気恥ずかしくて、まだきちんと言葉にしてはいなかったりするのだけれども。ただ礼儀として、あーゆー事したからには男の方から言ってくるのが作法っていうか? 確かに『古泉くんとあたしがナニするのを邪推して嫉妬した』みたいな事はあいつも言ってたけど、でも「嫉妬した」と「好き」は微妙にイコールじゃ無いじゃない!? それとも…キョンはやっぱりあれは一時の対処療法みたいなものだとか思ってて、好きだの愛してるだのっていう形而上の言葉であたしを拘束してしまうのが嫌だったんだろうか。 確かに胸の話とか、「行動に枷をはめられるのはイヤ」みたいな事を言ったのはあたしの方なんだけども。でもどっちにせよ、キョンの奴ってばやっぱりズルいと思う! うん! …そこを含めて、好きになっちゃったから参ってるのよね。 机の上の小さな鏡を見ながら、左の頬を撫ぜてみる。あたしの頬をはたいた時のキョン…恐かったけど、格好良かったなあ。あんなに真剣に怒ってくれるのは、あたしの事が大切だから、だよね? まあいいわ、今回だけはキョンの無礼を見逃してあげるとしよう。一応、コトが終わった後に、 「ハルヒ…今のお前、反則的なまでに可愛かったぞ…」 なんて事は言ってくれたし♪ あ、でも調子に乗って、汗やら何やらでベタベタした手で頭を撫ぜたりしないでよねっ? リボンが汚れちゃったじゃない! ちょうど替えがあったから良かったけど。あ~あ、これ割とお気に入りだったのにな。一度染み込んじゃうと、洗濯したってこの匂いはなかなか落ちな……… ここは自分の部屋の中で、もちろん居るのはあたし一人だというのに、なぜだかあたしは左右をきょろきょろ見回して、それから机の引き出しに、そっとリボンをしまい込んだのだった。 そ、そうよ、このリボンはもう人前じゃ付けられないから、ずっとこの中にしまっておく事にするわ、うん! …いったい誰に向かって言い訳してるのかあたしは。 はあ、それにしてもまあ。たった一日の間にファーストキスから何から、我ながらずいぶんとコトを進めてしまったものだ。 ついこないだまで、恋愛なんてのは交通事故みたいなもので、きちんと注意さえしていれば回避できるものだと思ってたのになあ。今はもう、四六時中あいつの事ばかり考えてる。キョンの奴には、出会い頭に思いっきりハネられちゃったって感じよね。ほんと、不覚だわ♪ …って、あれ? ちょっと待って!? そういえばキョンの奴、昼間、喫茶店でこんな事を言ってなかったっけ? 『人間なんて明日どうなってるか分からないから、みんなもせめて事故とかには気をつけろよな。特にハルヒ』 それからあたしに向かって『お前は直情径行の向こう見ずで、後先考えずに動くから』とか何とか言ってたような…。 えっ、えっ? ひょっとしてアレって、いわゆる暗示って奴? キョンってもしかしてもしかすると、予言者!? なんてね。たかだか1回セックスしたくらいで、奴の事を特別に不思議な存在だとか勘違いするほど、あたしは愚かじゃないのだ。 だいたいアレを『予言』だなんて言うんなら、あたしにだってそのくらい出来るわよ。そうね、たとえば――。 言わせて貰うなら、セックスなんてのは単なる行為のひとつに過ぎない。少なくともあたしはそう思ってる。 愛情がなくったって出来るし、何の証明にもならない。セックスしたから彼はわたしの物♪なんて、おかちめんこな考え方は噴飯物だ。一時の気の迷いで、そうひょいひょいと人の所有権を移動させないでほしい。 結局その考えは、あたしこと涼宮ハルヒが実際にセックスを経験した後も、特に変わる事はなかった。だからやっぱり、セックスなんてただの行為なのだ。 ただ、これだけは断言しておこう。 客観的、一般的には単なる行為だけれども、このあたしにとってはあんなに痛くて恥ずかしいコトは、よっぽど好きな奴が相手じゃなければとても出来やしない、と。経験者として、それは確信できる。そして今のあたしにとって、その相手はただ一人だけ…。 そう考えている内に、あたしは無意識に携帯の通話ボタンを押していた。 「(ピッ)もしもし、ハルヒか? こんな夜更けにどうし」 「分かってんの、キョン!? あんたは50億分の1、ううん、宇宙人やら未来人やらを含めても、世界中でたった一人の存在なのよ!? すごくありがたい話でしょうが! 選考委員のあたしにはもっともっと感謝するべきよ! 違う!?」 「…違うも違わないも。いきなりそんな勢いでまくし立てられたって、話の筋が全く分からん」 ああ、もう。本当に理解力にとぼしい奴ね。手間が掛かる事この上ないけど、やっぱりあたしがリードしてやらきゃだわ。 「いいから! あんたはこれからもあたしについてくればいいの! それとすっとぼけてる罰として、次に逢う時の食事代から何からは、ぜ~んぶあんたのオゴリだからねッ!」 「いや待て待て。次ってお前、今日のホテル代も結局は俺が払わせられたし、そのあと合流した朝比奈さんと長門には、なぜか特盛りパフェをご馳走させられたし、さすがに財布の中身がだな」 「なに言ってんの! 今日のあんたはみんなに心配とか迷惑とか掛けまくったんだから、そのくらい当然でしょ!? 急用で帰っちゃった古泉くんにも明日、学校でちゃんとお礼言っとくのよ!」 「へーへー。って、お前は俺の母上様か」 「うっさい! 文句があるんだったら、あたしに有無を言わせないくらいの気概をまた見せてみなさいよ、このバカキョンっ!」 ふふっ、気概を“また”見せてみなさいよ、か。 はてさて、次の機会はいつになる事やら。まるで見当も付かないけど、それまではこの、肝心な言葉をきちんと口にする事さえ出来ないムッツリスケベ男の尻を叩き続けるとしましょ。 そうして、携帯を通じてあいつへの叱咤を続けながら、あたしはこっそり今日の日記に、最後の一文を書き込んだのだった。 『初めての相手がキョンで、本当に良かった』 ――ってね♪ 涼宮ハルヒの不覚 おわり